形ある作品より生成作業に真実が見える

 なぜ様式は変遷するのか。優れた様式が完成すれば、それを使い続ければよいではないか。せっかくの盛期ルネサンスの高みもあっというもないマニエリスムに喰まれて落ちていく。無駄な道行きなのか。

 人間は完璧な解答にも満足しない、矛盾に満ちた生命体。揺らぎがつねに支配する。物質なのか波動なのか。物質でもあり波動でもある。完成した形も実は揺らぎ続けている。落ち着くことはない。波乗りのように波をキャチしつつ安定を図る。

 完成した美しい形に満足するな。その形に満足しない生命的な揺らぎが、すでにその形を脅かしている。それは人間的なあり方。それを動かしているのは生命の神秘。進化し続ける生命体の業のようなもの。仏教か?ゆく川の流れは元の水にあらず、か?

 デザイン作品というものは、ある時点で時間が止まった形。進化の一里塚。批判理論が有効か。理性がもたらした明快なテーゼはすでに神話化している。神話は硬直した形であり、神話が独占するとファシズム。人類進化の目標はそこにはない。硬直したファシズム建築の神話的な形態は進化を阻害する。ただ、ファシズムの支配者的欲望に駆られる俗物政治家が多いのは確かであり、たえず批判者が必要。全人類による地球規模の民主主義は人類の究極の目標。本当の解脱。

 ル・コルビュジエは新しい神話をつくることで近代社会のデザインに貢献した。だが新しい神話が支配者然とふるまうことは進化の断絶を意味する。神殿は古代社会には意味を持ったが、近代では過去の英雄的モニュメントにすぎない。モダニズム建築は20世紀に意味を持ったが、やはり過去のモニュメント。そして文化財保護、世界遺産の対象。その世界遺産に憧れ続け、その上澄みに乗っかるだけのようでは、今も未来も見えてこない。もう21世紀に深く入り込んでおり、世界の構造は大きく変わった。問を忘れた批評家には未来はない。

 21世紀を見るのに、21世紀の新しい見方が必要。方法論。それは過去になかったものなのだが、過去があったから生まれでたもの。20世紀もまた、その過去があったからこそ、その時代の新しさがあった。波乗りに例えれば、複雑な波頭、その下のアモルフな大洋の上で、水平に安定したものがモダニズムの建築形態。波頭で安定するばかりでなく、波の動きに対応する有機的な動きも必要。メンデルゾーンのアインシュタイン塔はその有機的な動きを形象化。ヘーリンクのように、あるいはタンゲリーのように、安定形に拘らない有機的造形もあった。波乗りの大部分は、波の発生、成長を見出す、もどかしいパドリング。結果として形となった作品は、本当のデザイン・プロセスを隠蔽してしまう。消費者はそれでよいが、生成側に立つならば、本来の生命現象ともいうべき複雑な準備作業にこそ目を向けなければならない。いわばブレヒト的に、裏側を見せよ。

 固まってしまった形は、生命感を排除してしまう。フラクタル幾何学は硬直化だけが幾何学ではないことを教えた。アモルフ、つまり形なき存在への認識があってこそ、啓蒙の弁証法が成り立つ。デザインはつねに啓蒙の弁証法の過程にある。明快な形、零度のエクリチュールを提示するのがデザイナーの役割だが、作品化のすぐ後にはその解体がなされる運命にある。生きた人間の行為だからこその必然。奢る芸術家に未来はない。進化し続ける人間文化に追い抜かれていく。古典は永遠だが、古典主義は断続的に起こる。

ドーパミン論からデザインを考え直す

 デザインを悪者扱いする言葉がよく見かけられる。曰く、経費の無駄遣い、遊び、目くらまし、実用性を阻害するもの、etc. 確かにそのような「デザイナー」も多いので、非難を受けるのも道理かもしれない。

 JABEEという工学教育の学科の資格審査のようなもので、デザイン能力が規定されていて、ある頭の固い学者が、これは建築デザインでいうデザインとは違う、発明、創造を指す言葉であって、芸術性は関わらないのだと言った。なんという屈折。デザインの本来の意味を知らないでデザインを悪者扱いするアンチ・デザイン派は哀れだ。どうしてかの芸術家ダビンチが発明家として傑出していたのかがわかっていないでは、建築教育の審査などする資格がない。デザインとはデ・サイン、つまり意味を創造すること、ルネサンス期に使われたディゼーニョがその基になっているが、それはいわばダビンチがスケッチを通して発明を深めていった作業のこと。初歩的な芸術行為を通してこそ、発見や発明が可能だったのだ。

 

 建築家は依頼された建築物の設計過程で、まずは初期的なスケッチから始める。いくつものヴァリエーションを試しながら、最初の案とは異なる、より適切な案を見出していく。それはまちがいを修正する理性的な作業であるよりは、より効果的な形を発見する過程であり、新しい案を見出すたびに快感を伴っているはずである。つまり中脳から線条体へとドーパミンが放射される。より優れた案へと進む過程は終わりがない。しかしどこかで止まらないと、実施案は生まれず、未完に終わるので、やむなく強制的に終わらせることとなる。ドーパミンが出続けるということは、中毒でもある。

 作らない建築家、ペーパー・アーキテクチャーのデザイナーというべき人がいる。表現主義期のフィンステルリンなどが代表だ。とても現実の建築物とは思えないような、曲面ばかりで床も湾曲するような建築物にお金を出すようなクライアントはいない。しかしデザイナー自身はそれでも、より大胆な創造にドーパミンで快感を覚え続けられる。ゴッホなども似たようなドーパミン中毒者だったのかもしれない。売れなくともより新しい絵画世界を見出しつつ描き続ける事に快感を覚える。その作品の新しい快感性に人々が気づいたのは、彼がドーパミン中毒で悶え苦しみ、命を絶ってしまった後だった。

 

 中毒者にまで至るのを人間、その脳の構造と仕組みを生み出した創造主の望むところではなかったはずだ。ドーパミンは新しい発見、創造を促進する触媒であり、道具的人類の進化の誘導者。報酬系という言葉があるが、まるで馬の目の前に人参をぶら下げて走らせるかのようで、功利主義的に聞こえる。もっと本質的な脳内システムがあるはずだ。脳内麻薬という言葉もギャグのような言い草。人類、いや生命体の進化プログラムとしてドーパミンはシステム化されているのではないか。

 建築家は既成の価値観で設計に取り掛かりつつ、次第に未知の形を見出して、設計課題のより優れた答えを得ていく。もちろんここでは売れるためだけに精を出す商業建築家ではなく、建築像の進化 をつねに心がける、健康的に前衛的な建築家の話。新しい発見、創造の一歩ごとにドーパミンが放射される。逆に言えば、ドーパミンなくして進化はない。デザインの快感なくして新しい文化は創造されない。デザインを誤解してはならないのはそういうことだ。俗物の批評が哀れなのはそのことがわからずに足を引っ張るからだ。

 モダニズム草創期の建築家たちは、そのような意味で進化に携わったデザイナーたちだった。1925年のアールデコ展で、進化よりも商売が優先されるようになるまでの話。開拓され、進化し続ける混沌とした新しい宇宙は、やがて切り刻まれて装飾部品となり、商業建築の商品に、政治的プロパガンダのフレーズのようなものに貶められた。デザインは副次的なもの、お飾りと誤解されてしまった。デザインの本当の意味を再生するには、健康な脳内でドーパミンが果たす役割を正しく理解すること!

 アハ!体験というのだそうだが、何かに突然気づいた時に覚える快感。いくつかの案件が絡まってもやもやしている時に、突然すべてを統合してくれる発想を見出した時、ひとり嬉しくなるものだ。浴槽に浸かっている時、あるいは森を散歩している時の、突然のひらめきに、脳が爽快感を覚える。新しいアイデア、新しい形を見出すデザインとはそういうもの。

 ドーパミン的、ないしは脳内物質システム的な建築デザイン論の可能性が少し見えた。ちなみに、以上は中野信子『脳内麻薬』を読み飛ばした後の感想文なのだが、わかりやすい語り口は助かったが、ドーパミンの奥深い正体までは見えず、期待はずれ。彼女自身は研究者というよりは、科学を楽しむ学者アイドル?彼女自身が現代的知識社会のドーパミンのようだ。

転換期の仮舞台としての新古典主義

 改めてル・コルビュジエを見てみると、彼が20世紀初頭の新古典主義から影響を受けていたことが確認できる。ラ・ショー-ド-フォンの「メゾン・ブランシュ」、「ファーブル-ジャコ邸」はベーレンス的な手法が見える。より詳細にはシンケル的ベーレンス。重厚で秩序正しい外観。矩形ヴォリュームと半円筒形張り出し。方立が林立する連続窓。パーゴラ。まるっきりベーレンス的幾何学。本物の古典スタディ、ギリシャ見学を経た後の住宅群。

 処女作ファレ邸のナイーブなアール・ヌーヴォーから突如、一転して新古典主義へ。ベーレンスは先にアール・ヌーヴォーの自邸から一転して新古典主義へと至っていた。ル・コルビュジエはベーレンス事務所をほとんどアルバイト感覚で訪れていたとされ、あまり重視されないが、この経緯はル・コルビュジエがベーレンス・ショックを引きずったことを示唆してはいまいか。ショウォブ邸を指して、ル・コルビュジエは、「オーギュスト・ペレがペーター・ベーレンスよりもっと私に多くを残したことを見ることができますよ」と、ペレ本人に書き送ったという(en.wikipedia)。なぜわざわざベーレンスを引き合いに出さないとならなかったか。それほどトラウマになっていたのだろう。ベルリンで何があったのか。ペレに何か負い目があったのか。シュウォブ邸の外観はパラディオ的なもの、シンケル=ベーレンス的なものを折衷させていて、ペレ的ではない。コンクリートの合理的な使用はペレ由来だが。

 ペレのもとでの研鑽が合理主義をより深く理解させ、ドミノに至ったわけだが、それはストレートな流れだっただろうか。ベーレンス的新古典主義体験が古典へと向かわせ、その後、ル・コルビュジエの古典主義的モダニズムを引き出させたのだったろう。ネオ・プラトニズム的な幾何学立体の再発見、シュタイン邸での黄金比、パラディオ的数列型プラン。ドイツでは反建築(アーキテクチャー)論が渦巻いていた。グロピウスはあえてバウを選んでバウハウスを命名し、アカデミズムの建築=アーキテクチャー論批判の姿勢を取った。そう見れば、ル・コルビュジエは保守反動。あるいは対抗宗教改革か。

 幸せなル・コルビュジエ。急進主義者がぶつかり合って、まるで宗教改革のような騒乱状態のドイツにエッセンスを見出し、知らぬ顔してペレの弟子顔でオブラートし、時代を超えていこうとする。メディアを舞台に颯爽と。そしてルネサンス芸術家のように天才個人として成功を収めていく。20世紀様式はそのようにして確立された、ル・コルビュジエ神話が残った。新しい世界観を築いた業績は見事だが、彼は舞台で主演を演じる役者であり、それを作り上げたのは舞台裏のプロフェッショナルたちだったことが見落とされがちが。21世紀を築こうとする人たちには、舞台裏をよく見て欲しい。

 今、20世紀パラダイムから21世紀パラダイムへと転換するのに必要なのは、カオス化した造形世界に古典主義の形式を導入すること。つまり言語体系としての古典主義。働かすべきはウェルニケ野。ドミノへと至るまでのプロセス。セセッション的還元論の先の統語体系。

音楽の脳科学から

 シュテファン・ケルシュ著『音楽と脳科学ー音楽の脳内過程の理解をめざして』というタイトルに惹かれて、ざっと読んでみた。もっとも、現代は"Brain & Music"とシンプルだ。マックス・プランク研究所で音楽心理学の研究を経てきていて、柔な脳科学書ではない専門書だった。そもそも音楽に疎い私には基本用語から手探り。むずかしいので、わかりそうなところだけ飛ばし読み。ただ、その筋の学生には勉強になりそうで、体系だっている。

 収穫は、音楽芸術(ここでは西洋音楽)は言語芸術とパラレルであり、脳内でもウェルニケ野が絡んでいるということ。音韻論から統語論、意味論、さらには運動、情動との関わりが脳との関連で説明される。ただ、「まだ研究されていない」といった言葉がしばしば挟まれていて、学問的には発展途上で、わからないことの方が多そうだ。

 読みつつ、断片的に理解しながら、建築への応用が可能かどうかを考えていた。同様に、建築芸術を言語芸術に比べられないか。ウィットカウワーがパラディオの建築作品を音楽の数理から論じている。楽譜、音階に建築設計上の文法のようなものを対照させるのである。「建築は凍れる音楽」という言葉もあるが、どこかで通底している。ただし、それは古典主義という人文主義的な設計方法の範囲でである。

 またしてもベーレンスが浮かんだ。なぜアール・ヌーヴォーの画家は古典主義へと転向したのか。崩壊した、あるいは爛熟しすぎたパラダイムからの脱出を図るには、一旦、世界を無化し、白紙化、更地化しなければならなかった。そこに新しい五線譜が引かれなければならなかった。だから、形式としての古典主義の文法がとりあえずは役に立った。彼はまず、オランダの神智学が試みていた幾何学に惹かれ、幾何学のグラフィック・デザインに傾斜する。建築物に応用する際には、いまだ抽象形態だけでは世間が納得しないから、古典主義の装飾文法を借りてきた。だから初期ルネサンスと同様、幾何学形態があちこちで露出した。次世代のグロピウスやミースは、ベーレンス越えで脱古典主義様式を図ったようにみえるが、ベーレンス自身、すでに抽象思考だった。

 これは言語芸術として建築芸術を再建する試みだったと見てもよいだろう。言語野が関わっているのだ。範疇と統語。人工的なシステムとしての言語体系。ルネサンス期に建築制作はそのような言語体系として再編されていた。古典主義へ、新古典主義へ、新々古典主義へというわけで、20世紀初頭に古典主義の文法が再来する。

 ダルムシュタットのベーレンス邸はアール・ヌーヴォー。古典主義の片鱗も見えない。それがすぐに古典主義へと大転換。節操がないようにも見えるが、これがパラダイム転換というもの。ヴィーガント邸の外観、インテリアは、この時代のベーレンスの心境を物語る濃密な造形。いずれ詳細に再検討してみよう。

 音楽は聴覚神経の構造を土台にする芸術。建築は彫刻、絵画、時には音楽を統合する総合芸術。だから脳内でどこを土台にしているかよくわからない。ケルシュは聴覚の実験をもとにして音楽の体系を整理できた。建築はどのような実験をすればよいのか。ただ、言語野の関わるところは、同様の分析ができそうだ。彼の書を読んでいて、そこのあたりは比較的に理解できた。とりあえず、ベーレンス論の糸口が少し見えた。この分析はインターナショナル・スタイルの論に発展できそうだから、20世紀様式論の再検討へと促してくれるだろう。言語芸術論としての20世紀建築芸術。

 そう見れば、他方で表現主義の位置づけがますますクリアになる。言語体系の導入を回避した流れは表現主義へ。タウトは言語化を拒否。文法の破壊からユートピアへ。扁桃体がウェルニケ野を無視した。もちろん建築の実作では、部材の物理的な秩序化に言語体系的な処理を経なければならないから、扁桃体の叫びは、地上に痕跡として残る。馬蹄形ジードルンクは空中写真で見ると表現主義だが、住戸レベルでは合理的な言語的体系を見せる。メンデルスゾーンアインシュタイン塔で言語体系を超越したが、ルッケンヴァルトの工場では表現主義的形態を言語体系化することを覚える。

 

フラハティによる創造性談義から

 創造性というものが脳内のどこに発しているのか。脳科学もまだ解明できていないようだ。アリス・W・フラハティの『書きたがる脳ー言語と創造性の科学』というタイトルに惹かれ、読んでみた。何だか、小説を読んでいるような面白さがあった。自らの出産に伴う不運がもたらした鬱、ライターズ・ブロックという鬱からハイパーグラフィアという書き出して止まらない躁への転換など。神経科医師の科学的説明を期待していたが、この症状のせいか、周辺の話題が面白く展開されて、本質に明快に迫ってくれない。

 何とか収穫と言えるものは、文学的な創造は側頭葉の障害からわかるものがあるということ。もっともこの側頭葉というのは内側側頭葉を含むというものであり、海馬、扁桃体もそのうちに入っていた。皮質に対する辺縁系。つまり、記憶と情動が関わっていた。文学だから言葉の記憶は当然、やはり扁桃体がキーワード。ただ情動の発生場所という扁桃体も、まだまだ謎があって情動以上の処理を行っているという話もどこかで読んだ。

 特に怒りの発生場所と言われてきた扁桃体が、むしろ視床下部に発する怒りを制御するのが扁桃体であり、他の情報を含めて整理する司令塔のような役割を担っているとも言う。文学作品という高度に知的な言語の構築物、論理的でかつ美しいものの、感情的な部分は扁桃体が操作しているようだ。単純に還元主義的に扁桃体=怒りとしてしまってはならないようだ。科学だから取りあえず還元主義に頼らないと、つまり「分析」しないと物事は進まないが、そこで終わってしまえば科学者の石頭と言われてしまう。

 フラハティは暗喩に着目している。「病としての暗喩」。暗喩にはイメージの跳び越えが必要。暗喩群の宇宙は壮大だ。詩神(ミューズ)はどこにいるのか。創造的インスピレーションは宗教的インスピレーションと共通するという。インスピレーションはそもそもインスパイア、息に関わるもの。リビドーよりも息。そして気。(そうか、村上春樹のリビドー偏愛。気の創造性を忘れているか。)

 美とは何なのか。ミューズはどこにいるのか。ドーパミンが放出されるまでに何が起こらなければならないのか。記憶された言語がブローカ野で構成され、ウェルニケ野で受容された、というだけでは単なるデータ処理に過ぎず、美の感動は起こらない。脱線が必要。暗喩はそこで、アハッ効果を起こすのか。

 

 さて建築論へ。建築にはリビドーよりも気か。ギーディオンの『永遠の現在=美術の起源』はリビドー的なものを論じていたが。モニュメントの始まりには確かにリビドーが関わるか。それはさておき、ここでは気を考えよう。メディチ家礼拝堂をデザインしていて、ミケランジェロに美神(ミューズ)が降りてきた時、インスピレーションが発生した時というのはどういう状況か。まずは時代を席捲してきた、プラトン的な、正方形に内接する円が、幾何学的なドーム形を与え、ミケランジェロはそれを感じた。それは人間界と天上をつなぐ静止。人間界はもと息が通う。「昼」と「夜」、「夕暮」と「曙」の彫刻は時空をエネルギーを込められて揺れ動く。大きな息が聞こえてくるようだ。しかし喜怒哀楽は調整されている。扁桃体の感情制御機能か。扁桃体の働きなしには起こらなかった。

 丹下健三はダビンチの理知よりもミケランジェロの情動に目を向けた。アポロンよりもディオニュソスアポロン的でもあるル・コルビュジエに、丹下はミケランジェロ性を見出した。創造性はどこに発したのか。

 メディチ礼拝堂では、「昼」と「夜」、「夕暮」と「曙」はメディチ家の両人の冷静な構えを支え、天上へとつながる。揺れ動く気は、壁面の建築装飾に伝わり、比例構成を震撼させて破格を引き出させた。オーダーを構成する各種エレメントが拘束を解かれたように、異様に力強く迫ってくる。この気はどこから来たのか。ミケランジェロ扁桃体に何が起こっていたのか。両英雄に対する畏敬、ルネサンス的な人間に内在する神の洞察、それらが彼の扁桃体に届いたのか。それが彫刻、建築、空間へと変換された。これがフラハティの言う暗喩なのか。確かに何の関わりもなかった英雄への感傷と石の造形。

 その時のミケランジェロが受けたインスピレーションとは?何もない空(くう)に出現した幻影。それは脳に欠陥を負った患者に現れる幻視と、機構上はそれほど変わらないのだろう。夢を見る人間だからの芸術の誕生だったか。まだまだ神秘は解き明かせそうにない。

 

神経科学からの装飾論

 ニューロンを伝い、シナプスを渡るという脳内の電気信号。その電気的な刺激は傍らから様々の情報を得て強化されるという。それを修飾とも言うらしい。ドーパミンセロトニンノルアドレナリン等の神経伝達物質が神経修飾物質とも呼ばれている。自然科学の領域で使われる修飾という文学的な言葉から、ふと考えた。普段から使っている建築装飾の装飾観が震撼した。見栄えの悪いものを覆い隠し、快感をもたらすものとしての装飾でなく、伝えるべき中心的ものを強化するものが装飾なのか。

 『装飾と罪』でA.ロースは装飾を断罪したが、その際の装飾は19世紀歴史主義の様式化した装飾手法だった。そこでは装飾は本来の建築物を隠す、厚化粧のようなものだった。彼はいわゆる「ロースハウス」の商店建築で、そのような古典主義的な装飾文法がバロック化、ロココ化した、19世紀的な壁面装飾を剥ぎ取って見せ、隠されていた本来の建築とは何かを露出させた。しかし、彼はドリス式の円柱は残した。それもまた装飾であろうとも思われるのだが、彼は虚飾と意味ある本来の装飾を分けたのだった。

 脳科学における神経伝達の際の修飾という考え方に照らしてみて、ドリス式の円柱は必要な装飾物だったことになるだろう。イオニア式、コリント式はそうではなかったのか。古代ギリシャにおいて、装飾の始まりだったドリス式は、本来の建築物のあり方から生まれたものだったことになる。木造建築をモデルにした石造彫刻として始まった神殿建築では、木造建築の部材の組立がそのまま石造彫刻となった。エンタシスのある膨らんだ円柱、エキノス、アバクスという二枚の板を重ねた柱頭、これらの単純な立体群は木製部材を連想させる。そもそも石造建築は壁のみでの構造が合理的であり、柱は無用なはずである。あえて円柱を並べた事自体がすでに装飾行為だった。柱を彫刻することは重要な意味を伝えることだった。ロースはそのことを忘れなかったのだろう。

 そういった意味ある装飾が、ただ目の快楽だけのために用いられるようになったところに、装飾の堕落が始まった。伝達すべき刺激を強化するのでなく、伝達すべきものがないのに勝手に貼り付けられ、躯体から分離独立して自立的に発展、あるいは暴走する。鑑賞者の立場からはそれもまたよしとすべきものだが、対象者は疎外され、むしろ虐げられていった。そこに革命が必要と考えたのがロースだった。

 建築様式はつねにそのような誕生から没落までの経過をたどる。つねに、というのはそこに何らかの法則性があるからであり、没落を悪だとも言い切れない。様式の進化はそのようにして進み、あるパラダイムが一サイクルを終え、次のパラダイムに転換される。

 薬物患者ではドーパミンの放出が自己目的化するようだ。本来の電気刺激を強化するための装飾として快感をもたらす神経伝達物質ドーパミン。その代替薬物が、本来の電気刺激とは関わりなく快感をもたらしてしまう。それに依存すると底なしの暴走。確かに醜いものを隠す化粧にもそれなりの意義はあり、否定すべきものではない。身体的な痛みを緩和するために麻酔薬物が必要な時があり、そこにある医学領域が成立している。同様の緩和剤としての装飾が自立した道具となり、それが独自の成長をとげていくことを否定するものではない。しかしそれが暴走するまでになったりすることがあるならば、自己制御機構が必要である。

 はたして、現代の建築装飾はどのような状況にあるのか。モダニズムの歴史的経過においては、機能主義の非装飾的な建築形態としてのインターナショナル・スタイルは、やがてアールデコの装飾を纏うようになり、建築躯体自身が心理表現媒体となるレイトモダンのスタイルを経て、さらに装飾性が躯体から分離独立するポスト・モダンのスタイルに移行する。それ以後、今日まで、装飾はいわば暴走段階に入った。鑑賞者の側からすれば、それは暴走ではなく華麗な発展であり、文化ではあるのだが。

 こう見れば、神経科学からみた装飾論は使えそうだ。まだまだ細かく分析できそうであり、20世紀における建築装飾のメタモルフォーゼを整理し直すことにもなりそうであう。装飾の観点からのモダニズム論。通俗的モダニズムの見落としてきたものが見えてきそうだ。

ブリューゲル一族の脳内を覗く

 ブリューゲル一族の絵には多数の庶民が登場する。ピーテル・ブリューゲル(父=一世)、ピーテル・ブリューゲル(子=二世)、ヤン・ブリューゲル(一世)等々。16世紀初期にイタリアに旅した父は、当地のルネサンス絵画の誇らかな手法からの影響はほとんど見せず、独自の誇らかでない手法を続けた。どうしてこうも違うのか。フィレンツェ等に比べてもひけを取らないアントワープブリュッセル等、経済発展の拠点だった町にあっても、イタリア・ルネサンスの華やかさは目標にならなかったのか。ヒエロニムス・ボスに始まる後期ゴシックの延長上に、庶民生活的リアリズムへ。それは人文主義プラトン的なものを理解できない能力の低さだったのか、それとも何かの理由があったのか。

 ネオ・プラトニズムの比例美、色彩、リアリズムは引き継がれない。イタリアではマニエリスムが意図してネオ・プラトニズムの完全性を否定し、破壊した。継承されたルネサンス文化から、いわば魂が抜かれ、手法の時代へと転換する。意図的であるかないかにかかわらず、批判的な視点へと移行した。

 様々の時代背景が説かれていて、北部ヨーロッパを席巻した宗教改革も関わる。脳の中で起こっていたことが気になる。ネオ・プラトニズムは天上の完全な幾何学秩序を見ることでドーパミンを放出させた。こちらでは天上のことは忘れられ、地上の日常生活しか目に入っておらず、視線は水平である。イタリアでゴシックの垂直性を否定してルネサンスの水平性へという転換があったわけだが、こちらではそのような転換ということもないままに、視線の水平性が当たり前である。

 東京都美術館の企画展でピーテル・ブリューゲル(子)の『鳥罠』を見た。高台から見た集落風景の彼方は水平の地平線が見え、アントワープかと思われる都市がうっすらの描かれる。集落の間の自然な川には氷が張り、大人も子供も氷上で遊ぶ穏やかな庶民生活風景。片隅に描かれた鳥を捕獲するために仕掛けが題名となっており、突然に悲劇に陥ることに気づかない鳥たちが、突然割れて溺れるかもしれない人々のメタファーとなっているのだという。そのようなやや無理な設定はどうでもよく、ここでは普通の人々が暮らす光景が見る者の目に親しみやすく映っていただろうことの方が大事だ。

 当時、複写はさかんになされ、この絵も多数の複写作品があるという。同画家のものが国立西洋美術館にもひとつあるようで、Web上のデジタル画像で見比べてみて、枝先の描写までほぼ一致するのには驚かされた。感動的な要素はないので複写対象になったことがあまり信じられない。しかし当時の人々は何かに心惹かれたのだろう。購入したのは貴族か都市の有力商人たちだったろうか。いわば田舎風景にもうひとつのユートピアを感じていた富裕者たちがいたのだろう。虚飾に倦んだ人々の逆説的ユートピア。プラトニズムの逆説。仮染めの都市文化からの脱出を憧れる、心の片隅のアジール。そう、田舎らしさ、ナイーブさ、無欲さこそ人間的に見えてしまう心の隙間。サブカルチャー的なもの。

 同じ企画展で見たヤン・ブリューゲル(一世)の『水浴する人たちのいる川の風景』は、『鳥罠』と同じ光景を、夏の風景として描いたもの。細部こそ異なるが、教会堂、家並み、樹木の位置と形状、そして全体の構図まではほぼ同一。鳥罠は見えず、教訓的な胡散臭さはないようだ。やはり田舎の風景こそがテーマだったのか。もちろん夏の風景なので樹木は葉で覆われ、緑が基調。川では裸の人々が泳いで遊ぶ。二つの絵画を並べて展示してあれば、大地の生命感が伝わる。

 今日的に言えば、エコ感覚。人工的なイタリア・ルネサンスのプラトニズムに対する、有機的なネーデルランドルネサンス。後期ゴシックの有機的神秘主義の延長上でのエコ感覚。もちろんもはや中世ではなく、宗教的なバイアスは消え、人間的という意味ではもう一つのルネサンス

 ラテン的なものに対するゲルマン的なもの。有機的なものが埋め込まれた神秘主義が継承される。描かれるのではなく隠れたまま侵入する。画家の意識には上らないままにキャンバスに侵入する。画家の手は無意識のうちに操られている。誰かに操られるのでなく、無意識の自分に操られる。脳の中の陳述記憶が考えながら描いているはずなのに、非陳述記憶が黒子となって操っている。陳述記憶にある比例や色彩のネオ・プラトニズムは、まるでテロリズミのように非陳述記憶によって闇のうちに崩される。

 ピクチュアレスクな風景とはいえ、ここではいわばハレ的な美はなく、ケ的な美が展開される。心は浮き立つわけではなく、ただ落ち着くだけ。故郷に帰ったような安堵感、解放感。態とらしくない風景。本音の生き様。美味なものを味わうよりも命をつないでくれるものを食べるような感覚。癒し系のセロトニンが関わるのか。画家はルーティンワーク化した手業を小脳に記憶しており、無意識のうちに絵にする。これも一種の様式論の対象。