クオリア論からピクチュアレスクへ

 茂木健一郎は、山寺の五大堂から眺めた風景を前にして、並列する様々の「クオリア」の存在に気がつき、そのようなアウェアネスにあり方を「メタ認知」したのだと言う。そのことがいわばキーワードとなり、著書『脳内現象』が書かれているが、この書はまるでカントか誰かの哲学書のように、人間の認知のあり方を論理的に構築して説く。他に、より学術的にクオリアについて論じた著書もあるようなので早計はできないが、もう一歩、クオリアというものが確信しにくい。

 客体と主体分けて論じられるのが従来の哲学だったものが、現象学によって間主体といった舞台が提示されて新しい視野が生まれたが、このクオリアはその間主体の世界でのことなのか。赤、緑といった後頭葉の視覚野で起こる感覚的クオリア、他方で前頭前野の働きで目をつぶっていても生起する色彩イメージという志向的クオリア。志向性という概念は現象学のキーワードだ。茂木は哲学者なのか、脳科学者なのか。より脳科学的な説明が欲しかったが、この書では哲学的な書き方で終わっていて、メルロ・ポンティを思い出した。

 ともあれ、クオリア論に乗っかってみよう。

 風景を見るときには多様なクオリアが複合しあっている様が確認された。視覚野で生起する感覚的クオリアに誘導され、風景画家は前頭前野で志向的クオリアを生起させ、キャンバスに絵の具で再現する。それは写真ではないので機械的な再現ではなく、画家の様々の記憶や価値観と調整されてあるので、デフォルメが起こっている。風景画は画家の芸術家としての資質を通して再構成された、リアルらしさを伴う再現であり、鑑賞者が元の風景を見てみても同じ感動はないかもしれない。画家が実風景から視覚野、前頭前野を経て作成した風景像を、鑑賞者はキャンバスから視覚野、前頭前野を経て同じような作業を繰り返す。鑑賞者に同調する能力が足りなければ、優れた美を伴う風景画も意味を成さないかもしれない。幼児には大人の絵画も単なる色彩遊びにしか見えないこともある。もっともゴッホピカソの絵画は擦れた大人よりも幼児に共感されるという逆転現象もある。

 風景の再構成ということはピクチュアレスクの造園美学の基本である。日本的に言えば数寄屋庭園。さらには数寄屋そのもの、つまり茶室。極小空間に展開されるのは志向的クオリア群ということになるのか。舞台床となる畳の配置構成、書割となる壁面の構成。窓、その配置、形態、素材、光と陰影。床の演出。天井の構成。その組み方、変化。そしてそこで展開される作法。時系列の儀式的プログラム。茶室のデザイナーは志向的クオリアを散りばめ、構成、演出する。客人はそこで美を、あるいは純化された空間のエッセンスを看取する。

 美には離散的な美と集中的な美がある。ここでは離散的な美。美しい風景を見るときと同じような脳内現象がそこに起こっている。θ波ドーパミンか、あるいは別の脳内物質か。

 西洋的なarchitecturaの美学は集中的な構成の方に重点が置かれてきたが、離散的なものもある。古代ローマハドリアヌスのヴィラに始まり、イギリス式庭園、シンケルの宮廷庭師の家、ライトの落水荘まで連綿と。茶室の構成はリートフェルトシュレーダー邸に転換され、世界化された。ピクチュアレスク=数寄屋の手法はクオリア論をもとに論じ直されてよいのかもしれない。ピクチュアレスクの概念をイギリス式庭園に限定する教科書的な学者にはわからない世界。クオリア論を用いれば説得力が出るかもしれない。

 さて、一方で茂木の主張はホムンクルス論の再構成。メタ認知ができるのは、私というホムンクルスがいるということらしい。どうしても二重人格的な色合いが出てしまうので、まだ十分に整理できていないようだ。哲学的な説明でなく、脳科学的な説明が欲しい。多様なクオリアを統括しているひとつの私。なぜ意識はひとつになるのか。進化の過程で、ひとつの意識というものがどのように生まれてきたのか。生命誕生の時からひとつだったはず。そうでなければ個体は生き続けられない。これはなお当分解き明かせない難問。ここではどうでもよいこと。しかし、集中的な美は同様に、統一的な美をテーマとしており、通底する問題もありそうだ。ルネサンス建築のファサードはどうして一貫した統一性を希求したのか。ピクチュアレスクでは離散的でよかったが、そこには統一性を崩そうとする衝動から来ている一面もあり、統一性というものがいわば敵として意識されていた。ややこしくなりそうなので、ここではこの問題は置いておこう。

 

脳に思考停止を促す様式

 神経経済学というジャンルができているとのいう。株式投資などに際して意思決定する際に、専門家の言うことに無防備に信頼してしまう現象について、それは一方の報酬予測や情動的な認知・決断に関わる大脳辺縁系の前帯状皮質と、他方の理性的で抽象的な思考により衝動を抑制する前頭前野の背外側前頭前皮質が不活性となって起こる現象なのだと言う。(参照=http://www.hitachi-hri.com/keyword/k057.html)ここで専門家というのはクライアントが心理的にそのように認知しているだけでよいだろうから、本当の専門家でなく、専門家を偽装する詐欺師であっても有り得そうだ。知識量の圧倒的な差異が、自ら悩む必要のない全面的依存へと駆り立てる。

 ナチス建築はメガロマニー(巨大さ嗜好)で知られるが、日常の身体感覚を超越する巨大な壁面、円柱などが圧倒的な差異の感覚を引き起こし、人々の情動を麻痺させたのだろう。それは一種の新古典主義様式の時代をなし、ナチスによってプロパガンダの手段となった。様式を脳科学的に解釈するためにひとつのサンプルとなろう。脳を叩かせるのでなく、働かせないという抑制的、否定的なアクションだ。

 ナチス新古典主義古代ローマの巨大な神殿群に範を取っていたので、古代的な手法と言えた。神話的な世界を民衆に見せつけ、神々の世界と人間世界の間のスケール的な差異を目に見えるものとするのである。他方、バロックの時代の宮殿もまた単調で巨大な次壁面を特徴とする。プラハの丘上の大宮殿はそのようなもののひとつだが、カフカの小説に出てくる近づきがたい山上の城がもたらす心理的効果を連想させる。バロックと言えば楕円やうねる曲線に象徴されるわけだが、宮殿建築はフラットで巨大な壁面、エッジの効いた横長の矩形の輪郭を特徴とすることが無視されがちだ。巨大スケールにおける秩序感と細部におけるカオスというコントラストが、この時代の造形心理を的確に物語っている。近づきがたい宮殿というのは、やはり思考停止を求めるもの。

 出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てない、ということにも通じるか。対応可能な相手であれば、脳は対応方法を考えることができるが、対応できないとなれば放置し、あるいは全面服従するしかない。それもまた建築デザイン表現のひとつである。民主主義の時代には、巨大な壁面や形態は避けるべきだ。人々が批判的な発言ができず、思考停止するようでは、民主主義は成立しない。

 コールハースCCTVはどうなのか。あれは巨大権力をメタファーとして揶揄したものなのか。グローバリゼーションの時代の心理を表現したものなのか。中国人は、あれをパンツだと言うのだそうだが、そこに政権批判も込められているのか。あるいは諦め感を示す自嘲的なことばなのか。ザハ・ハディドの異様に巨大なオブジェのような建築はどうなのか。時代のバロック性を象徴しているようではある。あるいは遠くから見て、掌に収まる玩具のような感覚なのか。共産党体制での新古典主義的な政治的建築とは対極にあることは確かだが、あるいは新しいファシズム建築のスタイルであるのかもしれない。微妙は境界線に立っているようだ。

 

 

メッセージ物質で様式論

 今回(2017-18年)のNHK人体シリーズは、臓器よりもホルモン、つまりメッセージ物質を焦点化。これに刺激されて・・・。メッセージ物質は解明途上。現代の情報論の時代は、人体内での情報システムの存在に光を当て始めた。脳からの指令だけでない、臓器相互のコミュニケーション。西洋医学の還元主義は、東洋医学のホリスティックな考え方と融合しつつあるようだ。経験からの知恵を近代科学の深化につなげること、そこに東西の二元論は解きほぐされていく。ホリスティック、つまり全体論は上手に扱えば意義深いが、下手をするとカルトになるので危険。やはり近代科学のほうが堅い。

 実証主義歴史学はエヴィデンス重視であり、残された形あるものがないと話が進まない。見えなくなった事実はなきに等しくなる。がん細胞は切除するか、薬品で対抗するしかないというのが常識だったが、メッセージ物質が解明されてくると、いわば情報操作で事態を変えられる。エヴィデンスとして残らならなかった情報の流れがわかれば、意外な真実が明らかになりそうだ。様式を成立させた情報の流れに着目することで、形式的な様式分類ばかりでない何かが見えてきそうだ。しかし、情報は多様だから、どの情報が影響したのか、選び出すのがたいへんだ。山中さんがiPS細胞を見つけるまでの作業のように。

 様式変遷の歴史的過程を生命現象に見立てよう。古典様式、中世様式、近世様式などはすべてつながっていたものと考え、ある身体が時代によってボディランゲージの所作の形式を変化させてきたものと見立てられないか。古典様式のオーダーは、ゴシックの細身のオーダーに転換された。それはルネサンスの比例理論で古典様式調に転換された。近代のオーダーはル・コルビュジエサヴォワ邸の円柱、あるいはミースのI型鋼コラムに見られる。歴史を貫いて、柱には重みを支えるという役割があるが、それが多様な様式として形式美になってきた。同じ作用のためになぜ多様な形になったのか。その生成過程にどんなメッセージ物質が働いていたのか。ここで言うメッセージ物質とは工匠ないし建築家の脳と身体に働いた、何かの信念のようなものである。そしてそれを発信させる背景に、その時代の社会の指導的な理念というものがあったことになるろう。

 信念というものはあいまいで、原因と結果を直接的な関係で結ぶことがむずかしい。東洋医学に照らして言えば、どこかの壺を抑えると別な場所で臓器が反応するようなものもある。これでは近代的な学問になりにくい。そもそも実証主義は足かせになりがちで、真実に迫ることさえ門前払いにしてしまう。しかしホリスティックなのだと言い切ってしまっては元も子もない。メッセージ物質の研究でも、結果で出るからそうなのだろうという、曖昧さは残り、「よくわからないが」という言い訳が伴っている。推定有罪も当面は認めながら、より精細にしていくというやり方がよさそうだ。

 後期ゴシック教会堂内部の細い円柱が、途切れてつながる柱だったものが床から天上のアーチ先端まで一本にまとまることなどは、多様な部品に始まり、ひとつの建築躯体に統一されていく過程の終着点と見ることができ、そこには一体化して単純化せよというメッセージが出ていたことを示す。なぜ一体化のデザイン意思が働いたのかは、社会統合の意思が関わっていたものと、一応推定される。物資で外化された形としての建築物は脳内での一体化要請のメタファーであるが、視覚上での一体化と精神的な一体性が共感覚で連携したものと言えるのか。

 とりあえず、このような論法で、これから多様な現象を考え直してみよう。

形ある作品より生成作業に真実が見える

 なぜ様式は変遷するのか。優れた様式が完成すれば、それを使い続ければよいではないか。せっかくの盛期ルネサンスの高みもあっというもないマニエリスムに喰まれて落ちていく。無駄な道行きなのか。

 人間は完璧な解答にも満足しない、矛盾に満ちた生命体。揺らぎがつねに支配する。物質なのか波動なのか。物質でもあり波動でもある。完成した形も実は揺らぎ続けている。落ち着くことはない。波乗りのように波をキャチしつつ安定を図る。

 完成した美しい形に満足するな。その形に満足しない生命的な揺らぎが、すでにその形を脅かしている。それは人間的なあり方。それを動かしているのは生命の神秘。進化し続ける生命体の業のようなもの。仏教か?ゆく川の流れは元の水にあらず、か?

 デザイン作品というものは、ある時点で時間が止まった形。進化の一里塚。批判理論が有効か。理性がもたらした明快なテーゼはすでに神話化している。神話は硬直した形であり、神話が独占するとファシズム。人類進化の目標はそこにはない。硬直したファシズム建築の神話的な形態は進化を阻害する。ただ、ファシズムの支配者的欲望に駆られる俗物政治家が多いのは確かであり、たえず批判者が必要。全人類による地球規模の民主主義は人類の究極の目標。本当の解脱。

 ル・コルビュジエは新しい神話をつくることで近代社会のデザインに貢献した。だが新しい神話が支配者然とふるまうことは進化の断絶を意味する。神殿は古代社会には意味を持ったが、近代では過去の英雄的モニュメントにすぎない。モダニズム建築は20世紀に意味を持ったが、やはり過去のモニュメント。そして文化財保護、世界遺産の対象。その世界遺産に憧れ続け、その上澄みに乗っかるだけのようでは、今も未来も見えてこない。もう21世紀に深く入り込んでおり、世界の構造は大きく変わった。問を忘れた批評家には未来はない。

 21世紀を見るのに、21世紀の新しい見方が必要。方法論。それは過去になかったものなのだが、過去があったから生まれでたもの。20世紀もまた、その過去があったからこそ、その時代の新しさがあった。波乗りに例えれば、複雑な波頭、その下のアモルフな大洋の上で、水平に安定したものがモダニズムの建築形態。波頭で安定するばかりでなく、波の動きに対応する有機的な動きも必要。メンデルゾーンのアインシュタイン塔はその有機的な動きを形象化。ヘーリンクのように、あるいはタンゲリーのように、安定形に拘らない有機的造形もあった。波乗りの大部分は、波の発生、成長を見出す、もどかしいパドリング。結果として形となった作品は、本当のデザイン・プロセスを隠蔽してしまう。消費者はそれでよいが、生成側に立つならば、本来の生命現象ともいうべき複雑な準備作業にこそ目を向けなければならない。いわばブレヒト的に、裏側を見せよ。

 固まってしまった形は、生命感を排除してしまう。フラクタル幾何学は硬直化だけが幾何学ではないことを教えた。アモルフ、つまり形なき存在への認識があってこそ、啓蒙の弁証法が成り立つ。デザインはつねに啓蒙の弁証法の過程にある。明快な形、零度のエクリチュールを提示するのがデザイナーの役割だが、作品化のすぐ後にはその解体がなされる運命にある。生きた人間の行為だからこその必然。奢る芸術家に未来はない。進化し続ける人間文化に追い抜かれていく。古典は永遠だが、古典主義は断続的に起こる。

ドーパミン論からデザインを考え直す

 デザインを悪者扱いする言葉がよく見かけられる。曰く、経費の無駄遣い、遊び、目くらまし、実用性を阻害するもの、etc. 確かにそのような「デザイナー」も多いので、非難を受けるのも道理かもしれない。

 JABEEという工学教育の学科の資格審査のようなもので、デザイン能力が規定されていて、ある頭の固い学者が、これは建築デザインでいうデザインとは違う、発明、創造を指す言葉であって、芸術性は関わらないのだと言った。なんという屈折。デザインの本来の意味を知らないでデザインを悪者扱いするアンチ・デザイン派は哀れだ。どうしてかの芸術家ダビンチが発明家として傑出していたのかがわかっていないでは、建築教育の審査などする資格がない。デザインとはデ・サイン、つまり意味を創造すること、ルネサンス期に使われたディゼーニョがその基になっているが、それはいわばダビンチがスケッチを通して発明を深めていった作業のこと。初歩的な芸術行為を通してこそ、発見や発明が可能だったのだ。

 

 建築家は依頼された建築物の設計過程で、まずは初期的なスケッチから始める。いくつものヴァリエーションを試しながら、最初の案とは異なる、より適切な案を見出していく。それはまちがいを修正する理性的な作業であるよりは、より効果的な形を発見する過程であり、新しい案を見出すたびに快感を伴っているはずである。つまり中脳から線条体へとドーパミンが放射される。より優れた案へと進む過程は終わりがない。しかしどこかで止まらないと、実施案は生まれず、未完に終わるので、やむなく強制的に終わらせることとなる。ドーパミンが出続けるということは、中毒でもある。

 作らない建築家、ペーパー・アーキテクチャーのデザイナーというべき人がいる。表現主義期のフィンステルリンなどが代表だ。とても現実の建築物とは思えないような、曲面ばかりで床も湾曲するような建築物にお金を出すようなクライアントはいない。しかしデザイナー自身はそれでも、より大胆な創造にドーパミンで快感を覚え続けられる。ゴッホなども似たようなドーパミン中毒者だったのかもしれない。売れなくともより新しい絵画世界を見出しつつ描き続ける事に快感を覚える。その作品の新しい快感性に人々が気づいたのは、彼がドーパミン中毒で悶え苦しみ、命を絶ってしまった後だった。

 

 中毒者にまで至るのを人間、その脳の構造と仕組みを生み出した創造主の望むところではなかったはずだ。ドーパミンは新しい発見、創造を促進する触媒であり、道具的人類の進化の誘導者。報酬系という言葉があるが、まるで馬の目の前に人参をぶら下げて走らせるかのようで、功利主義的に聞こえる。もっと本質的な脳内システムがあるはずだ。脳内麻薬という言葉もギャグのような言い草。人類、いや生命体の進化プログラムとしてドーパミンはシステム化されているのではないか。

 建築家は既成の価値観で設計に取り掛かりつつ、次第に未知の形を見出して、設計課題のより優れた答えを得ていく。もちろんここでは売れるためだけに精を出す商業建築家ではなく、建築像の進化 をつねに心がける、健康的に前衛的な建築家の話。新しい発見、創造の一歩ごとにドーパミンが放射される。逆に言えば、ドーパミンなくして進化はない。デザインの快感なくして新しい文化は創造されない。デザインを誤解してはならないのはそういうことだ。俗物の批評が哀れなのはそのことがわからずに足を引っ張るからだ。

 モダニズム草創期の建築家たちは、そのような意味で進化に携わったデザイナーたちだった。1925年のアールデコ展で、進化よりも商売が優先されるようになるまでの話。開拓され、進化し続ける混沌とした新しい宇宙は、やがて切り刻まれて装飾部品となり、商業建築の商品に、政治的プロパガンダのフレーズのようなものに貶められた。デザインは副次的なもの、お飾りと誤解されてしまった。デザインの本当の意味を再生するには、健康な脳内でドーパミンが果たす役割を正しく理解すること!

 アハ!体験というのだそうだが、何かに突然気づいた時に覚える快感。いくつかの案件が絡まってもやもやしている時に、突然すべてを統合してくれる発想を見出した時、ひとり嬉しくなるものだ。浴槽に浸かっている時、あるいは森を散歩している時の、突然のひらめきに、脳が爽快感を覚える。新しいアイデア、新しい形を見出すデザインとはそういうもの。

 ドーパミン的、ないしは脳内物質システム的な建築デザイン論の可能性が少し見えた。ちなみに、以上は中野信子『脳内麻薬』を読み飛ばした後の感想文なのだが、わかりやすい語り口は助かったが、ドーパミンの奥深い正体までは見えず、期待はずれ。彼女自身は研究者というよりは、科学を楽しむ学者アイドル?彼女自身が現代的知識社会のドーパミンのようだ。

転換期の仮舞台としての新古典主義

 改めてル・コルビュジエを見てみると、彼が20世紀初頭の新古典主義から影響を受けていたことが確認できる。ラ・ショー-ド-フォンの「メゾン・ブランシュ」、「ファーブル-ジャコ邸」はベーレンス的な手法が見える。より詳細にはシンケル的ベーレンス。重厚で秩序正しい外観。矩形ヴォリュームと半円筒形張り出し。方立が林立する連続窓。パーゴラ。まるっきりベーレンス的幾何学。本物の古典スタディ、ギリシャ見学を経た後の住宅群。

 処女作ファレ邸のナイーブなアール・ヌーヴォーから突如、一転して新古典主義へ。ベーレンスは先にアール・ヌーヴォーの自邸から一転して新古典主義へと至っていた。ル・コルビュジエはベーレンス事務所をほとんどアルバイト感覚で訪れていたとされ、あまり重視されないが、この経緯はル・コルビュジエがベーレンス・ショックを引きずったことを示唆してはいまいか。ショウォブ邸を指して、ル・コルビュジエは、「オーギュスト・ペレがペーター・ベーレンスよりもっと私に多くを残したことを見ることができますよ」と、ペレ本人に書き送ったという(en.wikipedia)。なぜわざわざベーレンスを引き合いに出さないとならなかったか。それほどトラウマになっていたのだろう。ベルリンで何があったのか。ペレに何か負い目があったのか。シュウォブ邸の外観はパラディオ的なもの、シンケル=ベーレンス的なものを折衷させていて、ペレ的ではない。コンクリートの合理的な使用はペレ由来だが。

 ペレのもとでの研鑽が合理主義をより深く理解させ、ドミノに至ったわけだが、それはストレートな流れだっただろうか。ベーレンス的新古典主義体験が古典へと向かわせ、その後、ル・コルビュジエの古典主義的モダニズムを引き出させたのだったろう。ネオ・プラトニズム的な幾何学立体の再発見、シュタイン邸での黄金比、パラディオ的数列型プラン。ドイツでは反建築(アーキテクチャー)論が渦巻いていた。グロピウスはあえてバウを選んでバウハウスを命名し、アカデミズムの建築=アーキテクチャー論批判の姿勢を取った。そう見れば、ル・コルビュジエは保守反動。あるいは対抗宗教改革か。

 幸せなル・コルビュジエ。急進主義者がぶつかり合って、まるで宗教改革のような騒乱状態のドイツにエッセンスを見出し、知らぬ顔してペレの弟子顔でオブラートし、時代を超えていこうとする。メディアを舞台に颯爽と。そしてルネサンス芸術家のように天才個人として成功を収めていく。20世紀様式はそのようにして確立された、ル・コルビュジエ神話が残った。新しい世界観を築いた業績は見事だが、彼は舞台で主演を演じる役者であり、それを作り上げたのは舞台裏のプロフェッショナルたちだったことが見落とされがちが。21世紀を築こうとする人たちには、舞台裏をよく見て欲しい。

 今、20世紀パラダイムから21世紀パラダイムへと転換するのに必要なのは、カオス化した造形世界に古典主義の形式を導入すること。つまり言語体系としての古典主義。働かすべきはウェルニケ野。ドミノへと至るまでのプロセス。セセッション的還元論の先の統語体系。

音楽の脳科学から

 シュテファン・ケルシュ著『音楽と脳科学ー音楽の脳内過程の理解をめざして』というタイトルに惹かれて、ざっと読んでみた。もっとも、現代は"Brain & Music"とシンプルだ。マックス・プランク研究所で音楽心理学の研究を経てきていて、柔な脳科学書ではない専門書だった。そもそも音楽に疎い私には基本用語から手探り。むずかしいので、わかりそうなところだけ飛ばし読み。ただ、その筋の学生には勉強になりそうで、体系だっている。

 収穫は、音楽芸術(ここでは西洋音楽)は言語芸術とパラレルであり、脳内でもウェルニケ野が絡んでいるということ。音韻論から統語論、意味論、さらには運動、情動との関わりが脳との関連で説明される。ただ、「まだ研究されていない」といった言葉がしばしば挟まれていて、学問的には発展途上で、わからないことの方が多そうだ。

 読みつつ、断片的に理解しながら、建築への応用が可能かどうかを考えていた。同様に、建築芸術を言語芸術に比べられないか。ウィットカウワーがパラディオの建築作品を音楽の数理から論じている。楽譜、音階に建築設計上の文法のようなものを対照させるのである。「建築は凍れる音楽」という言葉もあるが、どこかで通底している。ただし、それは古典主義という人文主義的な設計方法の範囲でである。

 またしてもベーレンスが浮かんだ。なぜアール・ヌーヴォーの画家は古典主義へと転向したのか。崩壊した、あるいは爛熟しすぎたパラダイムからの脱出を図るには、一旦、世界を無化し、白紙化、更地化しなければならなかった。そこに新しい五線譜が引かれなければならなかった。だから、形式としての古典主義の文法がとりあえずは役に立った。彼はまず、オランダの神智学が試みていた幾何学に惹かれ、幾何学のグラフィック・デザインに傾斜する。建築物に応用する際には、いまだ抽象形態だけでは世間が納得しないから、古典主義の装飾文法を借りてきた。だから初期ルネサンスと同様、幾何学形態があちこちで露出した。次世代のグロピウスやミースは、ベーレンス越えで脱古典主義様式を図ったようにみえるが、ベーレンス自身、すでに抽象思考だった。

 これは言語芸術として建築芸術を再建する試みだったと見てもよいだろう。言語野が関わっているのだ。範疇と統語。人工的なシステムとしての言語体系。ルネサンス期に建築制作はそのような言語体系として再編されていた。古典主義へ、新古典主義へ、新々古典主義へというわけで、20世紀初頭に古典主義の文法が再来する。

 ダルムシュタットのベーレンス邸はアール・ヌーヴォー。古典主義の片鱗も見えない。それがすぐに古典主義へと大転換。節操がないようにも見えるが、これがパラダイム転換というもの。ヴィーガント邸の外観、インテリアは、この時代のベーレンスの心境を物語る濃密な造形。いずれ詳細に再検討してみよう。

 音楽は聴覚神経の構造を土台にする芸術。建築は彫刻、絵画、時には音楽を統合する総合芸術。だから脳内でどこを土台にしているかよくわからない。ケルシュは聴覚の実験をもとにして音楽の体系を整理できた。建築はどのような実験をすればよいのか。ただ、言語野の関わるところは、同様の分析ができそうだ。彼の書を読んでいて、そこのあたりは比較的に理解できた。とりあえず、ベーレンス論の糸口が少し見えた。この分析はインターナショナル・スタイルの論に発展できそうだから、20世紀様式論の再検討へと促してくれるだろう。言語芸術論としての20世紀建築芸術。

 そう見れば、他方で表現主義の位置づけがますますクリアになる。言語体系の導入を回避した流れは表現主義へ。タウトは言語化を拒否。文法の破壊からユートピアへ。扁桃体がウェルニケ野を無視した。もちろん建築の実作では、部材の物理的な秩序化に言語体系的な処理を経なければならないから、扁桃体の叫びは、地上に痕跡として残る。馬蹄形ジードルンクは空中写真で見ると表現主義だが、住戸レベルでは合理的な言語的体系を見せる。メンデルスゾーンアインシュタイン塔で言語体系を超越したが、ルッケンヴァルトの工場では表現主義的形態を言語体系化することを覚える。