宗教のパラダイム転換過程

 古代神話型の宗教と中世キリスト教型のそれの土台の違いはどう表現したらよいか、悩んでいたが、少しヒントあり。宇宙型と救済型。まだわかりにくいが、ヒントにはなる。古代人はともかくも宇宙を理解する言葉を必要とした。中世人は地上の人が死後、幸福であることを求めて物語を必要とした。それでは近世人は?彼は地上で、現在の幸福を望んだ。つまり天を忘れてよかった。

 しかし、天を捨て、死後の世界を捨てただけで済むのではなく、天、死後の新しい見方を確立し、過去の世界観を修正してしまわなければ、いつでもそれが復活する可能性がある。だから、宇宙の理解のためにクールな自然科学が構築された。死後の人間についても解剖学を通して人体を科学にした。救済のためにキリスト教は残ったが、もはや中世の、弱い人間像は捨てられた。いわば自己実現が新しい幸福感となった。天才はいま・ここで開花してよい。死後には何も期待できるものはない。

 まさに、ルネサンスは芸術家の時代。万能人の時代。

 ルネサンスにおいては宇宙とは円。地上の正方形とで、ドームを載せた集柱式建築。ダビンチ、ブラマンテ。宇宙は幾何学で、つまり人工的な科学で解釈された。そして神人同形説。生身の人体には比例が宿る。人間を中心に置く宇宙観。他方で最高の美を創造する人間。地上で、あるがままで救済されている。宇宙論と救済論は一体化した。生きていること、生命のもたらす能力をすべて働かせることが目的となる。美と幸福の追求。

 ルネサンス古代ギリシャの各種の学問、知識体系を学び直した。それは宇宙論の批判的発展。キリスト教権力は続くが、もはや原点の救済論を忘れていたため、宗教改革は聖書の文面に戻って救済論の脱構築。近世とは伝統の批判的継承。革命でありつつ再解釈による再生。人文主義とはその有様への命名。古代、中世、近世へという過程は一定の連続性。このプロセスは必然だったのかどうか。進化だったかどうか。とりあえずは西洋社会では進化論的。

 日本もおおよそ似たような進化過程と理解しているのだが、それはホモ・サピエンス的な普遍性なのかどうか。中国ではどうだったのか。複雑な経過なのでわかりにくい。風水論・儒教の時代から仏教の時代へ、そして(風水論・?)儒教の再生、という過程が説明されている。洛陽・長安の風水型首都、隋・唐ではそこで仏教。元の北京の風水型もどき。この古代儒教の最盛期は古代哲学を再生させたヨーロッパのルネサンスとパラレルなのかどうか。ここがわかると普遍性と言えそうだが。日本も含めた普遍性。宇宙型、救済型、自己実現型(人間中心思想型?・・・命名しにくい)という過程。

 とりあえず、仏教の脱構築がアジアでの近世か。中国での有り様がわからないが、日本では信長の比叡山焼き討ちがイメージされる。石山本願寺一向一揆とは何だったのか。仏教の脱構築だったのか。キリスト教の流布と排斥のプロセスは、結局、武士階級支配のもとで儒教の再生、寺請制度による仏教の世俗化に終わる。宇宙型、救済型の宗教は脱構築されて新体制を築いたか。

 秀吉の京都は、古代型宇宙観の批判的継承か。聚楽第大内裏の跡に。条坊制、そして方位、鬼門の風水論は結局、継承された。御土居という新しい近世的な境界線が加わったが、宮殿たる秀吉二条城(第)を中心に置く明快な都市形態。いやにヨーロッパ的。人間中心思想=宮殿中心都市構造。新しい宇宙観、救済観。

 秀吉は死後、豊国廟・豊国神社で神となる。仏教的救済は不要。それは家康の東照宮に継承される。もはや俗っぽい神。

 このパラダイム論は、だいたい筋は通りそうかな。

 

合理的造形の背景にある情動

 ダマシオは情動→感情→理性という順番を想定している。『意識と自己』の始めの方で。情動が非理性的なものとして下等に扱われてきたことに批判しつつ。情動があるから理性も働くのだと。

 建築学も都市工学も、まさに理系の学問だからか、確かに情動を論じることが少ない。そこを扱えば学問にならなくて、評論になってしまう。しかし、今の脳・神経科学の時代に、理性の部分だけを扱っているのは不満足。情動の部分を科学にできないか。

 表現主義が特異な心性の表れの時代として扱われがちなのは、このせいか。表現主義は叫びのようなものが伴った。ハンス・シャロウンのスケッチ。ベルリン・フィルのあの形。1918年頃の叫びは、ひとつには第一次大戦がもたらした多数の死、さらに奥には機械時代が引き起こす人間性への尊厳の喪失が背景にあった。建築の形も情動を表現する手段となった。

 ただ、ヨーロッパで次々と生まれた新しい形は、アメリカ商業主義の目には装飾にしか見えなかったから、アール・デコへ。アメリカ商業主義には別の情動が働いていた。アメリカン・ドリーム。つまりは素朴な自己実現欲求。より多くの世俗的成功。それも肯定しなければならない。ホモ・サピエンスの基本的な欲望は植物、動物を前にしての食欲。自然を支配下にせねばならないという衝動。成長の限界というものを知るまで。倫理なし。

 そもそもの表現主義の情動は機械時代という人類史の新しい頁にあって、人間性保全すること。叫びは恐れの表現であり、そこで終わる訳にはいかない。穏やかな創造性へと移行するべき。だから有機的建築へと移行。タウトは住宅団地の大きな、また細かい造形の快楽へ。アアルトは個性的な曲線へ。

 バウハウスの合理主義は冷たい機械様式と誤解されている。機能主義は後に批判の的となるが、そもそも機能主義を築き上げてきた背景の情動があったことは忘れられてしまっている。ダマシオの言う通り、理性を衝動が支えていた。結果としての理性の芸術しか見ない次世代、他地域の建築家たちが、本来の人間的な情動を無視した。

 グロピウスはバウハウス・スタイルなるものを否定し続けた。それはスタイルではない。バウハウスの情動の部分を併せてみれば、それは運動だった。ハーバードでも継続された運動だった。

 情動を科学するとすれば、まずは、機械の合理性に振り回される人間という、近代の構図を明示すること。そこには道具を発明したホモ・サピエンスの深遠な原罪のようなものが見られ、普遍的。そして、時代の技術環境を情動が使いこなし、モノの形にするプロセスを明らかにすること。ホモ・サピエンスに纏い付くデミウルゴス神話。人工的なモノと自然界の接点をいかに保つか。人新世のホメオスタシスはどのような構図なのか。自己破壊する前に安定化を。永続する人類社会の平和とはそういうことか。平和な都市の理想とはそういうものか。モノを造るという原罪を負ったホモ・サピエンスが自然界を傷つけつつも、傷ではなく、新しいホメオスタシスへの改変作業とすること。

 

 

前頭前野の自立がすなわち近代か

 デカルトは、考える我という地平を抽出し、世界を数学で理解しようとした。古代の神々も中世の一神も関わらない、科学的な世界観が生まれる。近代の始まり。脳内では何が起こったのか。前頭前野は物語を創作して扁桃体の発する恐怖感やさまざまの感情を制してきたが、ここで扁桃体離れしたのか。前頭前野が独立宣言か。

 18世紀啓蒙哲学は科学を自立させたが、そういうことだったか。感情の影響を排除して、客観的な知の作用する世界。raison=理性の時代。論理的に整合性を持ち、感情の介入を排除。建築は冷たい論理だけの造る構築物となる。哲学の時代。ロージエの建築論。円柱と明快の構造論理の見える化。ピラネージは例えば柱梁の構造を超越的な巨大さで提示したが、そこには確かに畏怖という感情が入り込んでいたが、それは前頭前野独立運動という熱の表れであり、いずれ独立を達成すれば、情熱は無用となる。ブレのメガロマニーがその最終段階であり、革命後のデュランは感情を排した建築理論を完成した。

 18世紀の考古学の流行、ギリシャ建築の理想化。なぜ近代なのに古代回帰。これも前頭前野独立運動のプロセス。扁桃体側坐核の支配体制から脱出。パルテノンの柱梁の明快な構造論理が抽出されれば完了。古代人が見たパルテノンは畏怖すべき神の住まい。近代人は神離れ。明快な秩序の形而上学の抽出。科学へ。科学が自立すれば産業革命へ。

 そのようにして前頭前野新古典主義というパラダイムで自立。残された脳部位は前頭前野の独裁に異議申し立てとばかりに、ロマン主義を呼び起こす。理性よりも感情を。確かに人間活動の全体性は理性も感情も揃っていなければ成り立たない。産業革命の暴走は機械破壊運動という抵抗運動を招く。ラスキン、モリスのロマン主義

 19世紀は永く歴史主義が続く。さまざまの歴史的様式が記号化され、合理的構造に化粧材として貼り付けられる。なるほど、前頭前野の内部に記憶された古い様式が、各時代の感情を消し去り、クールな知識として残る。理性の骨格の冷たさをカモフラージュするかのように、言い訳としての感情表現の必要から、装飾として補完。いずれにせよ前頭前野の独裁。

 20世紀には前頭前野が支配する体制としての近代合理主義が改めてリストラを遂行。ロマン主義の進化した表現主義も、その進化した機能主義で追放。全体性の回復を目して側坐核扁桃体を活性化させた表現主義は、前頭前野の独裁を止められなかった。その独裁はポスト・モダンという時代まで、半世紀は続く。

 前頭前野は新しい脳。古い脳である小脳、中脳などの脳幹、および扁桃体側坐核などの大脳辺縁系との争い。所詮、前頭前野は単純で、大量の知識を蓄えているものの、シナプスの垂直構造。論理的整合性だけが価値観をなす。エビデンス提示が不可欠な科学者の世界。つまり、いわゆるヒューマニズムは介在しない。やはり脳幹が、とりわけ大脳辺縁系が働かないと困る。アルゴリズムだけで人間は成り立たない。AIの独裁に疾駆するのには抵抗運動が必要。制度疲労を起こした20世紀の感性はもう一度リフレッシュさせる必要。活発にイノベーションを続ける前頭前野とは、脳幹がリフレッシュして新しい関係を。ネオ・バウハウス

 まだすっきりしない。前頭前野は知識の集積。それを論理に組み立て、概念の体系にするのには、言語野が関わるのではないか。ブローカ野、ウェルニッケ野が。左脳の働きを勉強し直そう。

 

ルネサンス脳は側坐核に?

 人類の文化的進化論。古代、中世、近世。中世脳の宗教社会がわかってきた。その後に近世脳。ルネサンス。どのように。

 小脳扁桃という部位は恐怖感と喜びの二元的な感情に関わるという。先史時代のホモ・サピエンスは自然界で生きていくために、この機能に立脚していたのだろうか。不可思議な気象に翻弄される恐怖感、それを克服したときの喜び。前頭前野ストーンヘンジのような儀式的構造物を発明させたか。そして次に恐怖を含む様々の感情を制御する扁桃体が支配的となり、それに対しては前頭前野は古代の神話世界を生み出し、架空の物語りから神の住まいとして神殿が登場する。中世宗教社会は前頭前野の物語り機能に集団的な感情の絆という次元を開いた。そこでは個々人のポジティブな儀式参加行動が求められ、成功すれば宗教的な恍惚感を得る。オキシトシンか。その延長上、次の近世がよくわからなかったが、やる気スイッチの側坐核が関係するか。

 報酬系腹側被蓋野からドーパミンが発する。側坐核はGABAでそれを抑制するが、抑制しないで快感をコントロールできるとか。ルネサンス人は快感に満ちている。ボッティチェリのあのヴィーナス。暗い中世が消える。美。それは視覚を通しての快感。フィチーノを参照すれば音楽も関わるようだ。扁桃体はフェードアウトしたか。

 アルベルティのファサード。部位と部位、部分と部分が比例調和しあい、対称形をなす。シンメトリー。目の快楽。脳の中で完結。人間礼賛の時代。メディチ家の面々のヒーロー像。ダヴィンチの芸術。目と脳と手の三位一体。もはや外なる神々の時代は終わった。信仰の抑制的心性の時代の終わった。

 側坐核が支配する時代。信長も秀吉もそうだったか。利休の美意識をわがものとした秀吉。もっと派手にやりたいのを利休がかえって邪魔となったか。ドーパミンが止まらなかったのだろう。コカインもドーパミン抑制メカニズムを破壊する。カフェイン茶を飲みすぎた?それを見て、家康はセルフ・コントロールする術を見つけたか。快感を制御しつつ、そのうちの権力欲だけは残った。革命の後には独裁者が残るもの。

 近世には神話も信仰もフェードアウト。したはずが、東照宮に、寛永寺増上寺輪王寺。神も仏も、新しい人間によって牛耳られた。側坐核玉座に。これは文化的進化と見なすべきだろう。生物的進化を通してホモ・サピエンスが獲得した脳は、その使い方の進化へと移った。神話も信仰も、そして近世の人間中心社会という社会づくりの手法も脳の生み出したもの。

 ルネサンスの美は古代的、中世的な束縛を脱して、自由に花開く美へ。純粋に人間的なもの。とはいえそこにはトーナメントのような生き残り競争があり、英雄はひとりに絞られる。家柄の時代から下剋上の時代へ。自由競争。強者の論理。腕力とずる賢さも。腕力は肉体的な人間中心主義。ずる賢さも脳の能力の一端。近代的な自由主義の始まりがここに。それはアメリカン・ドリーム型の自由主義まで続く。

 競争はいつも平等ではない。この競争の優勝者は国民を置き去りにして栄華を誇り、際限なき快感へ。最下層からトップにのし上がった見事なスーパースター秀吉。しかし凡庸な息子に引き継がせるために悪行。続かなかった。玉座を掠め取った家康は自由競争を封印し、個人主義的な人間感、人間礼賛のの理想はあっという間に消え、醜い王朝体制へ。まるで社会主義の理想を絡め取った金王朝のように。

 

 ルネサンス芸術からバロック芸術へ。ヴィラ・ロトンダからヴェルサイユ宮殿へ。玉座にたどり着いた側坐核は際限ないドーパミン漬けへ。近世芸術は400年ほどは続いたが、その過程で段階的なメタモルフォーゼを経験。側坐核の独裁を終わらせたのは、理性の時代。玉座は脳のどこへ。それに答える課題が残ってしまった。

アーキテクチャーとは神の似姿を形にすることか

 脳と建築の関係を思索し続けているが、なかなか答えが出ない。今はホモ・サピエンスの始まりからの、人間の認知的な進化過程を参考にしようとしてきている。

 5万年前に黒人としてアフリカからアラビア半島に旅立った150人の人間が人間史に画期をもたらした。彼らはユーラシア大陸のどこかで、突然変異によって皮膚の色素が多様に変化し、多様化した。最初にインドから東南アジアへ、そしてオーストラリアへと歩んで、あるいは海を渡っていった黒褐色肌の人々。途中でモンゴルへ向かって行きつつ色を薄め、東アジアに分散し、また陸続きだったベーリング海峡を辿ってアメリカを北から南へ歩を進めた黄色人種。色素を失ってコーカサスから東欧、さらに西欧へと流れていった白人。もっとも三つの大きな流れに整理できるものの、この5万年間に相互に複雑な交雑があったのでそう簡単な話ではない。

 ともあれ、1万年前までは狩猟採集生活に頼っていたために移動を繰り返し、とりわけマンモスを追ったベーリング海峡越えはいわば長征だったか。そして1万年前に始まる農耕定住生活は大きな集団生活を始め、社会生活の進化とともに、言葉を発達させて各種のアルファベットを産み落としてきた。ここで関心を持ちたいのは建築の始まり。建築もまた言葉のようなものであり、人間の生活、社会的な生活に、自然に散らばる様々の物質を借用して形を与えることだった。

 洞窟での穴居生活の時代には住まいは借り物の自然空間で済んだが、肉食のための動物を追って草原や荒野に出たときにはテント型の住居を造らざるを得なかったろう。木を組んで草を載せるだけのものは遺構も残らないが、マンモスの骨をドーム状に組んだものは考古学者が見つけている。原始的な建築は素朴な実用性しか考えず、機能主義の工作方法のように見えるが、あるいはそのような建築にもすでに象徴表現の意思が働いていたのかも知れない。そのドーム形は以外に明快で芸術的である。中に居続ければドームは天空の象徴形態のようにも想像される。すでにアーキテクチャーが始まっていたか。ここで言うアーキテクチャーは、単なる建築物のことではなく、archi-tectura、つまり高等な技術、道具的理性以上に感性と悟性が一体となった象徴的工作物の創造技術のことである。

 農耕が始まる直前の定住生活がギョベクリ・テペの祭祀施設を生んだ。T字形の壁柱はまだ梁を載せるための柱ではなく、具象彫刻を貼り付け、また人体に擬した象徴芸術だったようだ。ストーンヘンジでは整形された石柱に石の梁が載せられ、円環をなして連続したり、門型のトリリトンをなした。そのルーツは柱梁の木造建築物だったろうとされている。木から石へという転換は象徴表現の意思を表れであり、アーキテクチャーである。それは天体観測施設でもあったという説が出されており、アイルランドの巨石文化では墓室まで冬至の朝の光が水平に差し込むように廊下が形作られていた。天体の現象は神の領域のものと思われていたはずであり、それは神の姿の建築化だったと言えるだろう。

 こういった先史時代の話は考古学者たちが面白く筋立てして著作が見られる。ところがそれ以後になると議論が消えるのはなぜなのだろうか。メソポタミア文明エジプト文明などの様々の建築物は神との関わりではなく、人工工作物として解釈される傾向にあり、神の領域と人間の領域が別個に議論されるようになる。ピラミッドの象徴的な解釈はヘーゲルの美学などでは論じられていたはずだが、今日ではもう分かりきった話としてそれ以上に突っ込んだ議論にならないのか。観念論の古い哲学はお蔵入りになってしまったのか、その延長上での議論がない。ニーチェが神は死んだと言い、マルクス唯物論を打ち立て、科学主義が隅々まで行き渡ってから、神を語るのは特殊な宗教集団の内だけに閉じ込められてしまったかのようだ。

 科学と神秘主義の間をもう一度精細に繋げる作業が必要のように思われる。それは人間の脳を科学することを通して、科学の領域を拡張することで可能となるのだろう。一方で科学万能という言葉が安易にすぎるように感じられる。科学は壮大な自然のごくごく一部しか論理化できていないという謙虚さが必要だ。デザイン・ベイビーに手を染めた若い中国人学者の愚かさは、盲人が蛇を恐れないという諺どおりであり、視野狭窄した科学者の危険を教えている。未開人のようなオカルト論者が語る神、超常現象などに耳を傾けるのは愚かだが、科学のフロントは神の領域と接していることを改めて注視しなければならない。iPS細胞の発見はいわば神の領域に科学が一歩前進したことを意味している。

 神がいるかいないかという固定化した宗教の話ではなく、神とはそもそも人間が自らの知的理解の及ばない世界を司る主体がいるように夢想したことで生まれた言葉に過ぎない。それはホモ・サピエンス以前、霊長類以前、あるいは哺乳類以前、動物以前に遺伝子に刻まれた情報制御因子だったのだろう。生命誕生の時から大自然と生命体は一体化しつつも分離し、自らの生体構造を構築させ、進化させてきた。今もそれは変わらないのであり、人間のDNAは進化し続けており、また知性を強く働かせている人間は人間の似姿としてのロボットを進化させつつある。自然が生み出した生命体、そして人間は、神の被造物でありつつ、自ら掌の中で、物質を道具化して神の似姿を造る試みを続けてきている。先史時代のアーキテクチャーは今は先端技術に継承されている。アーキテクチャーの長い歴史の上に、建築物が様々の人工物や芸術行為とともにひとつの先端技術であり続けた来た。

 そのような観点で建築史を、先史時代から現代まで解き明かしたい。結構、勉強してきたのでそろそろ本論を始めようかと思いつつ、なお疑問を解消するために図書館を渉猟する日々が続く。

認知建築史学は可能か

 コリン・レンフルー『先史時代と心の進化』に、「認知考古学」という言葉を見つけた。ホモ・サピエンスが獲得した認知力を軸にして考古学を説き直そうとするものである。ちょうど、建築史を脳の発達とそれに伴う文化的な進化という発想で構築し直せないものかと思案していたので、刺激を受け、「認知建築史学」などといった言葉が浮かんだ。

 ネアンデルタール人からホモ・サピエンスの時代に移行して、最も変化したものは、集団形成力だったという。狩猟採集生活をしていたネアンデルタール人には血族を中心にした数十人の小集団までが限界だったが、ホモ・サピエンスは農耕生活を始め、その際に数百人の集団をなし、集落を形成して定住することになる。そこでは、植物を栽培し、一年間管理するといった相当程度の計画を立案し、それを多数が共有する能力が必要だった。

 ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへは、脳の一段階の進化があったとされる。しかしホモ・サピエンスは進化した脳を十分に活用するのにかなりの時間を要したようだ。この、いわゆる農業革命はようやく約一万二千年前になって実現したのだと言う。使いもしないのに、脳は進化を果たしていたというのなら、なぜ進化が起こらなければならなかったのか、不思議だ。ともあれ、農業革命とともに文明が進展し、その後、何種類もの革命が続き、現代文明まで至る過程はそれまでの数十万年の人類史に比べれば急激な発展となった。

 生物学的な脳の進化と、その使い方に依存する認知能力の進化は別物だという。後者は人工的な文化だからである。ホモ・サピエンスは農業革命の後、国家、宗教、科学といったものを次々に生み出してきた。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』も農業革命を始めに取り上げていたが、なるほど脳の進化がすべての始まりだったのだろうか。

 心理学者マーリン・ドナルド著『Origines of the Modern Mind』(和訳はないようだ)は、認知能力の段階的な発達を唱え、①「出来事的」段階、②「模倣的」段階、③「神話的」段階、そして(遅れて唱えたようだが)④「物質的象徴」段階、⑤「理論的」段階、という5段階が提示したという。前者2つが生物的進化にかかる「種形成段階」、それに続くものは文化的進化の「構築段階」とされた。農業革命は④「物質的象徴」段階なのだという。私が興味をもつのもこのあたりである。

 神的なものを覚えたホモ・サピエンスは、それを目に見える何かを物質的象徴として表現しようとし、それは目に見えない脳内活動の言語体系へと進めた。

 集団化することで大規模な企画が可能になり、農業が可能になる。より大規模な集団が定住生活をなすことで、次第により高度の社会管理能力が必要となる。神を想定し、何かで象徴表現する。神々の幻想は神話を伴って保証されるが、そこに言語能力の獲得が裏打ちする。

 農業革命はナトゥーフ文化に始まるという。いわゆるレバント地域、つまりイスラエル、ヨルダン、レバノン、そしてシリア内陸を通ってトルコ国境あたりまで伸びる南北に長い地域である。野生の麦などを採集する生活が、干魃にあって人工栽培へと転換を余儀なくされたのが始まりだった。約一万二千年前のことだったという。

 やや遡る一万三千年前、いまだ狩猟採集生活の段階の時に、これよりやや北のトルコで発見されたギョベクリテペの祭祀施設が誕生したという。円環をなすの石積みに謎のT字形の石板が林立する構造物は、定住しない狩猟採集生活者の小集団の群れが集まって、何かの儀式を行ったのだろうとされている。ホモ・サピエンス史上はじめての本格的な構築物であり、ストーンヘンジなどよりずっと古い。もっとも屋根が架かっていても良さそうな円環状の石壁なのだが、屋根なしだったようであり、建築物とは言えないようだ。まだ情報が少ない謎の遺構だが、例えば柱の系譜を考える際に注目できそうで、ホモ・サピエンス建築史の冒頭に据えてもよいのかも知れない。

 定住農耕生活が始まる前に、すでに狩猟採集者の定住は始まっていたようで、ウクライナでマンモスの骨でつくったドーム型の住居が見つかっている。これはなかなかよく考えて作ってあり、これ以前に他の素朴な材料で簡単なテント状の住居の時代があったのだろう。マンモスの骨の住居はオーラがあって、あるいは祭祀施設ではなかったのか。狩猟採集社会は平等主義の相互扶助社会だったようで、まだ階層化が起こっていなかったから、首長の住居というわけではなかったのだろうが。

 

 定住社会、とりわけ定住農耕社会では所有感覚が生まれ、ヒエラルキーが発生したという。本格的な集落はイェリコで見つかっている。ただ、崩れやすい日干し煉瓦を何度も建て替えてきたので、今、目に見えるものはテルと呼ばれる小山でしかない。そこでの社会構造はどれくらいに解明されているのだろうか。平等主義の相互扶助社会での脳の使い方に興味があるが、階層社会への転換がもたらした認知構造も気になる。それらはどのように建築物なり集落の空間構造に反映していたのだろうか。

 やがて、ピラミッド形の社会はそれを引っ張る頂点に人物を必要とし、強力な首長から王を誕生させる。幻である神と王が繋がることで社会は安定した構造を得る。古代エジプト社会はそのようにして王=神としてのファラオを誕生させた。マスタバ(墳墓)、階段状ピラミッド、正四角錐ピラミッドと、祭祀用の物質的象徴は大規模に、そして芸術化していった。他方で神殿という、壁と柱のシステムである建築物を誕生させた。その前に、ナトゥーフ文化は「肥沃な三日月地帯」をたどってメソポタミアに一大文明を築き、集落は都市へと発展していた。都市革命とも言うようだが、それもひとつの認知革命だったろう。つまり脳の使い方が一段レベルアップしていたはずだ。もっともこれは国家共同体の誕生に伴うものなので、国家革命と言うべきなのかも知れない。

 アテネなどの都市国家群は統一的な国家であるペルシャ国に抵抗して勝利した。この民主主義が全体主義的な国家に勝る進化を遂げた時を都市革命と言うべきなのかも知れない。なぜなら現代のグローバル民主主義は都市連合ネットワークへ向かっており、全体主義的な国家群への退化を克服しようとしており、国家よりも国境線を超えた都市群のあり方が、ある理想モデルとなっていたりするからである。

 ともあれ、建築の進化、都市の進化を認知建築史学として説けるように、これから個別テーマを探しつつ、努力してみようか。

 

 

 

ミケランジェロにもう一度訊こうか

 システィナ礼拝堂を見てから、もう40年以上になる。若い時に感覚だけで感動したミケランジェロの天井画、壁画は、知識を積んだ今見ると、違って見えるのではないかと思う。もう一度見る前にNHKの作成した2010年頃の番組を使って予習をした。

 天井画はミケランジェロが30代半ばの作品。ローマ教皇庁ルネサンスの息吹が入り込んだ時のもの。ユリウス2世のもと、カトリックが殻を破り、開かれた。新約聖書の枠を越え、旧約聖書、そしてギリシャ神話にまで遡及した。間をフィレンツェルネサンスに接近したルネサンス人エジーディオ・ダ・ヴィテルヴォが取り持ったという。人間の原点に還って世界観を問い直した。いわばキリストを神の世界から人間の世界に引き戻し、理想的な精神を再生させようとする。まさにルネサンス。中世に教義と典礼でガンジガラメになった宗教が解きほぐされ、洗い流され、生身の人間を露出させようとする。ルターの宗教改革以前に、教皇庁の中で改革は始まっていたようだ。だからこそミケランジェロの出番もあった。今では対抗宗教改革と訳語が変わったが、確かに改革は起こっていた。

 1527年、ミケランジェロフィレンツェ革命に参画して挫折し、2ヶ月間を地下に潜る。同年にはローマ劫略の大事件があった。ミケランジェロはその後に依頼された最後の審判の壁画で、画風を一変させた。明るいルネサンスの天井画から、暗い、怯えるような壁画へ。ルネサンスからマニエリスムへの変化に相当するか。表の明るさの陰に、裏の暗い心が隠れていた。脱皮した皮のような自画像は象徴的だ。表も裏も見える人間に成長したミケランジェロ

 明るいモダニズム、転機となるマニエリスム。同じ構図が20世紀にもあったことになる。ミケランジェロは盛期ルネサンスから初期バロックまでをひとりで歩み、作風を変転させた。そこには内的な変遷過程があったはずだが、外的要因の働いていたようだ。しかしその変遷にはしっかりとメカニズムが内在しており、ミケランジェロはそれに操られていたと言ってもよい。一種の集団的無意識。ルネサンスを天才の時代とばかりに片付ける傾向があるが、天才の才能を開花させたのも、作風を変えさせたのも、人間社会のある種の生命体リズム。ルネサンスは人間社会のバイオリズムがもたらした、生命感再生のプログラムだったのだろう。行き詰まりの時代には必ずルネサンスが起こるもののようだ。そしてマニエリスムも、バロックも、ということだろう。

 ミケランジェロの芸術脳は人並み外れたものだったろうから、別格だろうが、誰でもがある程度はミケランジェロ的にはなれるはず。感性を解放する手法が見いだせれば。それが難しいのだが。時代と社会と環境に恵まれねばならない。しかし状況に恵まれてもブレークスルーする動物的な「脳」力、そして意思が必要。

 ミケランジェロは孤独だった。ひとりで駆け抜けていった。誤解ややっかみを踏みしだいて。そこには批判精神があったはず。旧来の慣習に従っていれば力は半減したはず。つねに現状を打破する姿勢。だから先頭に立って、自らスタイルを変遷させることができた。つねにイノベーション自己実現でもあったろう。人間の時代。少しは見習わなくてはならない。このガンジガラメの時代に。

 もう一度、システィナ礼拝堂でミケランジェロに耳を傾けよう。

 それにしても教皇庁というものが益々わからなくなってきた。宗教活動に専念してきたのかと思えば、結構、軍事力好き。中世も教皇は有力貴族から選ばれていた。永く十字軍の旗を振った。ルネサンスには礼拝堂を美術館にして信者集め。免罪符を売っては大宮殿、大聖堂建築。しかし、確かに天才ミケランジェロに舞台を提供して開花させた。宗教はメディア論として読み解くべきか。やはり宗教脳の神経機構を研究しなければならない。