脳内のイデアとしての様式:ギリシャ神殿

 ギリシャ神殿は木造建築をモデルとして、石で彫刻作品にしたものである。その際に木造の構造は力学的に石造でそっくりにはできないから、ある操作が加えられる。アルカイック期の神殿は太すぎる円柱を持つが、一本の柱は数個の石を積んだものである。重い石材は細長く積み上げるのが困難だから、太い柱となる。クラシック期のパルテノン神殿の柱はかなり細身になるが、それは安定性を犠牲にした美的な欲求の結果である。

 そこには円柱のイデアが形成されている。木造の記憶が脳内に残り、イデアを形成していた。太すぎる柱はやむを得なかったとは言え、木材のように華奢にしたい。イデアに合うようにという意思が細身の石造円柱へと進ませた。

 神殿の全体像は木造の家をモデルにした石造彫刻である。そもそもどのような木造の家があったのか、明らかになってはいないが、イデアとして、壁で囲まれた長方形プランの構造物が、円柱に取り巻かれ、全体に切妻屋根が載っていたことが想像される。列柱と壁との間はプテロンという、開放的な部屋のように名付けられているが、どうみて庇くらいにした思えない。土壁に雨が当たるのを避けるための庇の先が木の柱で支えられていたものか。そうであれば日本の木造建築のように、庇はもっと深くなくてはならない。石造となった時に、イデアとしての木造建築が歪み始めたのか。

 プラトンイデア論は建築史の上でしばしば取り沙汰される。天上にある純粋幾何学立体が地上で多様に変形されたと想定される。それはルネサンス期には半球形ドーム、円筒部、立方体の躯体として目に見える純粋形態として再来する。古代にあってはそこまでではないものの、エンタシスを持つ円柱、単純な家型として表現された。

 神の住まいである以上、実用的な建築物である以上に、イデア化された建築像となったのだったろう。家型は次第に軽快さを見せるように変化し、また円柱は原始的なドリス式、優美さを込めたイオニア式、繊細に装飾化されたコリント式のヴァリエーションによって、表現に選択肢が生まれ、脳内に三様のイデアを形作る。神といういわば妄想が、仮想の想念であるイデアを形作り、社会的な記憶として人々に共有された。ひとつの建築様式の誕生である。

 

 もちろん、そのような発明はギリシャ人が初めてなした成果ではなく、彼らはエジプト人から学び取った。古代エジプトの神殿にはロータスの柱頭を象った、太くと丸みを帯びた円柱を想像していた。ロータスの茎は細くて華奢であるが、組積造の石造円柱とするには太くなくてはならなかった。柱頭にも閉じた蕾や開いた花びらなどのヴァリエーションがあった。ギリシャ人はエジプトの雇用されていたと言われ、その際に学んだ神殿建築の作り方をギリシャの現実に合わせて再現したのだろう。エジプトでは列柱は内部で用いられるが、ギリシャでは神殿外周でも用いられることとなったが、あるいはギリシャでの木造建築の原型がそうだったのかもしれない。