建築の始まりはどこか

 そもそも人の体表面に毛がなくなった時から、人は身を守るために衣服を必要とし、また住居を必要とし始めた。それには頭脳の発達が欠かせなかったわけだが、なぜ脳が発達したのかはいまだに謎らしい。毛がなくなった理由も同様。

 南アフリカ海岸線にある洞窟遺跡は、裸でひ弱な人がかろうじて逃れた場所だったらしい。住居の始まりは洞窟だった。やがて人はアフリカ大陸からユーラシア大陸へと移動し、人口も増える。アフリカ大陸では森林も砂漠(だったか?)もあり、身を守る手段がなければ多様な気候に耐えられず、また獰猛な動物に食い殺されていただろう。森に隠れて移動したのか、原始的な家をつくっていたのか。木や草でつくった家があったとしても数万年のうちには朽ち果て、痕跡も残らないだろう。竪穴式住居のような地面を加工した住居であれば、考古学者が見つけてくれているはず。

 原始住居として、まずは円錐形に木を組み、植物の葉で覆ったものが想定される。動物の骨や皮でドーム状のものをつくった例も知られている。いずれにせよ、インテリア空間となる洞窟の代替品が必要だった。木造の住居は次第に柱・梁を内部に仕込むようになり、そのアイデアが発展して、垂直に立つ柱で外壁をつくり、傾斜する木材で屋根をつくって、原始的な寄棟形式となり、また切妻形式へと移行した。柱の概念が発生したことは画期的だったろう。

 ロージエは樹上住居を始まりとし、柱は立ち木だったと想定した。しかし、いきなり樹上に上がるのではなく、地上にロート型にまずつくり、内部の支えてして柱を見出したとする方が自然ではないか。スイスの水上住居をロージエが知っていたかどうかわからないが、それを森の立ち木に還元したような発想である。いずれにせよ、柱の発見はターニングポイントだったろう。

 モンドリアンは水平線と垂直線に拘り、ドゥースブルフの用いた斜線に激怒したという。自然界には水平線と立ち木の垂直線は空間を理解する基本の概念であり、斜線は山の斜面の輪郭線など、不確定で、概念化しづらい。円錐形の小屋の輪郭線である斜線はきっかけを作ったかもしれないが、人工のものである。脳内の視覚野には水平線、垂直線、そして多様な角度の斜線に反応する神経細胞があるという。遺伝子レベルで決まっていることだろうから、水平、垂直、また傾斜ということの認知は人間の生存において重要だったのだろう。柱と梁は脳内の空間認知力が外化された原始的な創造だったか。洞窟生活を続けていれば、そのようなことは不用だったのに。

 空を飛ぶ鳥は重力の垂直性を身体的に知っており、水平線、地平線の直角関係を、少なくとも無意識の脳活動で知っていただろう。しかし巣作りは小枝などをランダムに重ねたお椀状であり、彼らに水平・垂直を操る創造性はない。雌に見せるために巣を見事なアート作品とする鳥もいて、住まいとしての巣というイデアはあったのか。人は水平・垂直の観念をもとに、面としての壁、また天井を創造することとなる。それは家の制作を通して、イデアとしての座標空間体系と数学的な面という観念に純化されていった。立方体というプラトン立体が登場する。球や円錐形は自然界に見出すことができなくはないが、立方体、直方体は人工のものである。建築文化の始まりが、この幾何学というイデアの発見・創造にあったのか。