フェルメールの空間表現

 フェルメールの絵画で特徴的なことは、絵画の主人公が横向きであり、鑑賞者に整体してくれないところだ。『窓辺で手紙を読む女』や『真珠の首飾りの少女』は、窓から差し込む光に向かって佇む女性という典型的なパターンを見せる。視線をこちら向きにする『手紙を書く女』や『ヴァージナルの前に立つ女』ではあえて顔を描いてほしいと願ったのか、体は横向きで動作中である。『真珠の耳飾りの少女』は肖像画風なのになぜか横向きでこちらに振り向いたところを構図化している。『音楽の稽古』では顔は鏡にかろうじて見えるものの、全く後ろ向きである。

 着飾って肖像を描いてもらおうとする従来の絵画スタイルとは明らかに異なり、普段の生活の一端を記録するスナップ写真のような趣である。だから人物を取り巻く室内の空間スポットが詳細に描かれる。主題は人物が半分で、まわりの空間が半分といえようか。その空間表現に時代、社会が反映され、読み込みが面白くできる。室内にはテーブル、椅子、楽器、壁掛けの額縁など、いくつかの室内型静物と呼ぶべきものが寄せ集められている。部屋の形状はシンプルで、これらのオブジェ群もクリアである。生活感のある部屋そのものが主題であるかのようでもある。

 『牛乳を注ぐ女』もまた同様なのだが、これは誰に依頼された絵なのか。メイドさんが買い取るほど安くはないはずだが、誰がこの絵を自分の部屋に飾ろうとするのだろうか。フェルメール自身のメイドさんであって、日頃のサポートに対する感謝の意味で、プレゼントしようとしたのか。そうは言ってもこのリアリズム絵画には記念写真のような媚は見られない。ミレーのような社会主義にも通じる世界観が見られる。台所かと思われる簡素な部屋ではあるが、色彩の構成、反射光の輝度、陰影など、描法の教科書の参考画のようでもある。光が差す窓辺の構図という点では、着飾った女たちの絵と対等であり、ただ実用性のみの衣装やオブジェ群というところが差し替えられている。

 貴族の時代から市民の時代へ。15〜16世紀のイタリア・ルネサンスネーデルランドの北方ルネサンスへと継承されたが、17世紀のこの時代には社会構造の変化までもたらしていたようだ。キリスト教新教カルヴァン派の経済合理主義は室内の労働者まで絵画の対象に持ち上げた。フェルメールの絵が親しみ深くて人気があるのは、このような一般市民の水平な視線が受け入れやすいからでもあろう。

 鑑賞者は何気なく絵画空間に入り込み、感情移入しやすい。劇的空間ではなく、日常的空間がそこにある。芸術心理を学問化したリーグルは『オランダ集団肖像画』で、従来の集中型、内的統一型の絵画に対する非集中型の絵画の存在を説いたが、それはここでも共通するものがあり、納得できる。画法の革命も進行していたのだ。

 さて、空間表現に関して、フェルメールの透視図法の用い方に注目。箱型の室内空間、壁は素朴で平坦な矩形、床は明快なチェック模様、天井には水平の小梁。実に単純明快。左手の窓際の隅が定番なのだが、この部屋の他の部分はどうなっているのだろうか。左から陽光が差し込み、拡散光となり、人物像などに陰影を生み出す。この非対称の構図は何を意味するのか。背景の平坦で大きな壁は視線に対してほぼ正対し、左手の窓は奥行感を出すためだけの道具のようだ。斜めにしか見えないガラス窓のデザインは意外に多様であり、かなり凝ったものもあって、絵入りのものもある。そこに当時のテクノロジーのレベルも感じられる。

 遠近感は基本的な構図の特性となっており、人物像のある中景を挟んで、近景にカーテンが空間の区切りをなし、遠景は壁でしかないがそこに絵画や鏡がかかっていて奥行感の助けとなっている。床タイルのチェック模様も含めて、遠近感はしっかり意図されている。左手の窓のある壁は急角度の透視図法に則っているが、いかにも透視図法を誇示するような絵画とはちがって慎ましさがある。

 フェルメールの透視図法の能力は、都市景観を描いた絵画に確認できる。『小路』と題された街路沿い景観の絵画は、正対する平坦なファサードと奥に視線が届いて遠方の三角屋根が対比的に描かれ、基本的な構図をなす。見逃せないのは、わずかに透視図法を用いて描きこまれた細い路地があり、その奥にメイドさんと思われるひとりの女性が仕事している一角である。ファサードの二次元的な構成がこれだけで一気に三次元空間化されるのである。オランダ近くのアーヘン出身だったルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエも似たような、奥行方向に細長く延びる廊下を透視図的にスケッチしたが、それに共通するものであり、ひとつのスキームの歴史を認識させる。

 フェルメールには珍しい遠望する風景画『デルフト眺望』では、左右に展開するパノラマが印象的なのだが、実は横に伸びる船着場に対し、右手の市門は奥行方向に長い構造となっていて、平面上では直角の構図となっているところである。現地に立って確認したのだが、随分改造されていてこのままではないが、画家がどのような構図を題材にしていたかについて、この点は見落とせない。奥行方向に延びる煉瓦造の市門の複合構造物のすぐ左に堰にようなものが見えるが、ここからまっすぐに奥へと運河が流れていて、絵画では認識しにくいが、そのためにここは奥行方向に窪んだかたちとなっているのである。縦横軸の直交する構図は『小路』の絵画とよく似ている。

 そのように見れば、フェルメールが空間の構図にこだわり、またルネサンス特有の透視図法を、イタリア人とは異なる独自の感覚でパターン化していたことがわかる。他の誰かが指摘しているかどうか知らないが、実はフェルメールの脳内にはそのような空間のスキームが形成されていたのだった。それは建築家の脳に近いものである。そのように考えると、室内空間の構図も含めて、フェルメールは一種、建築設計のような感覚で絵画の構図を構築していたことが垣間見られる。それは画家というよりは近代的なデザイナーの能力である。

 ゼキはセザンヌからピカソへ、画家の脳内で起こっていたボトムアップトップダウンの認知活動の変遷を指摘しているが、ここでも同種の分析が可能なのだろう。ルネサンス期の透視図法がもたらしたあるスキームがフェルメールの脳内に構築されており、それが彼の画風に大きな影響を及ぼしたいたことになる。謎の画家フェルメールのほとんど指摘されないポイントであろう。