ルネサンス脳

 ルネサンスを迎えるイタリアでは、中世のテデスコ(ドイツ)の建築様式、つまりゴシック様式に対する嫌悪感が高まっていた。古代ローマ時代の遺構は到るところにあり、その建築様式が理想的を見なされ、その復活が目論まれる。しかし、それは単なる復古現象ではなく、人文主義という新しい地平での新文化の創造であった。

 少し不思議なのは、ゴシックのイタリア語ゴティコという言葉は、ゲルマン民族のうちのゴート族の名に由来するが、イタリアがゴート族に支配されたのは5世紀末から5世紀中頃までのことであり、サンドニ修道院教会堂でゴシック様式が生まれる12世紀中頃のはるかに以前のことである。10世紀以後、イタリア半島はドイツに拠点がある神聖ローマ帝国に支配されるが、その名の通り、この連合国家古代ローマ帝国衰退後の混乱したイタリアを安定させるために、古代ローマ帝国を継承するという姿勢だった。イタリアでは独自のロマネスク様式が生まれ、ゴシック様式もかなりイタリア化して取り入れられた。ミラノ大聖堂シエナ大聖堂など、明らかにイタリア人の感覚が盛り込まれた固有のゴシック様式となっていた。ヴェネチアの総督宮殿などは19世紀にイギリス人ラスキンが、その独特のイタリアらしさに憧れるほどだった。なぜそれが嫌われたのか。

 また、ルネサンス期はキリスト教の大きな転機でもあって、ルネサンスの建築様式は従来のキリスト教教会堂の建築様式を否定するものだったから、ドイツ嫌いというよりは中世型の宗教を嫌ったという側面も大きい。ブルネレスキらが復活する建築様式は、実態としてはビザンティン、ロマネスク、ゴシックを含む中世キリスト教の時代の建築様式を退け、キリスト教以前のローマ帝国の建築様式に倣おうとした。ゴシック批判はわかりやすいアジテーションのネタになっていたという一面もあろう。皮肉なことにとばっちりを受けたゴート族だったが、彼らとは何の関係もないゴシック様式の名は、当初の蔑称だったものが、今では重要な歴史的様式の名として定着してしまった。

 妙な経緯ではあったが、結局、15世紀に隆盛となるルネサンス様式は、壮大で重厚な古代ローマ帝国の建築様式よりは、明るくて人間味のある様式となり、かなり換骨奪胎された形で復活する。古代ギリシャ、ローマの文化を知的に再解釈しようとする姿勢は、人間中心の時代にあって古代とは異なる世界観を築き上げる。もちろん中世の世界観も否定され、そこに新しい時代を迎える。人間礼賛を基盤に、ネオ・プラトニズムという古代再生型の思考体系は、特にイタリア本国では近代文化の始まりとしても位置づけられている。

 建築様式は古代の装飾様式を採用しているわけだが、建築形態の比例などは、いわば近代的な比例理論に従っており、それが教会堂のファサード、プラン、ドームを中心とする立体構成などに展開された。もはやそれは古代とは大きく異る建築様式となった。ブルネレスキの捨て子保育院に見る整然としたアーケードのファサード、アルベルティのサンタ・マリア・ノベッラ教会堂に見るよく比例分割された新規のファサード形式など、人々は幾何学的な比例美というものを享受することとなる。

 それは眼球から視神経を経由して後頭葉の視覚野に至り、色彩と形態が細かく分析される。ファサードの大理石の鮮やな色彩、白色の石肌が反射する光、きちんと構成された水平線、垂直線はいずれも単純で捉えやすく、色彩や形態の認識に特化されたニューロンを直接的に、また即応的に刺激する。いわば脳にとって解釈しやすい刺激なのだ。中世キリスト教のもとでは憂鬱で抑圧的な空気を克服しなければ恍惚感は得られなかったが、ルネサンス建築はいきなりドーパミンを放出させる。宗教音楽も同様に聴覚神経、聴覚野を通して脳を即座に反応させる。これがルネサンス脳の基本なのだろう。

 ファサードの二次元的な秩序、またそれを三次元化した際の透視図法に則った建築空間は、ルネサンス脳の特徴である。脳が明快な反応をしてくれるためには、ファサードの奥が複雑になっていたとしても、ファサードはデザイン画のように明快に水平・垂直に構成させられる。ファサードに窓が並ぶ時にはたとえ開口部が必要でないところでもブランド・アーチなどで窓型だけは造形される。壁の向こうに空間がほしいと思えば透視図法でだまし絵を描くように薄いレリーフが持ちられる。ルネサンス脳にとっては眼に入るものは秩序だったいなければならないので、トリックを使って嘘をつくこともやむを得ない。人の目の恒常性という特質は、歪んでいるものも目で修正し、秩序だったいるものと強引に解釈する。ある意味では綺麗ごとで表を取り繕うという、あまり芳しくない癖も伴っている。それも含めてルネサンス脳と見ておかなければならない。

 この伝統は現代イタリアまで続いている。デザイン大国イタリアの地位は揺らぎようもないが、見た目で選んだ小物が壊れたりする。ドイツ製品は見た目は無骨だが、メカは故障せず、質は高い。テデスコの自動車はイタリアでも質の高さで好まれる。やや嫉妬も含まれるようだが。ずいぶん昔、ベルリンでイタリア人建築家アルド・ロッシが小さなホールで講演を行ったので聞きに行ったが、たまたまドイツ製のスライド・プロジェクターがうまく作動せず、ロッシが「ドイツ製品かい!」と皮肉っぽく笑ったのが面白かった。