転換期の仮舞台としての新古典主義

 改めてル・コルビュジエを見てみると、彼が20世紀初頭の新古典主義から影響を受けていたことが確認できる。ラ・ショー-ド-フォンの「メゾン・ブランシュ」、「ファーブル-ジャコ邸」はベーレンス的な手法が見える。より詳細にはシンケル的ベーレンス。重厚で秩序正しい外観。矩形ヴォリュームと半円筒形張り出し。方立が林立する連続窓。パーゴラ。まるっきりベーレンス的幾何学。本物の古典スタディ、ギリシャ見学を経た後の住宅群。

 処女作ファレ邸のナイーブなアール・ヌーヴォーから突如、一転して新古典主義へ。ベーレンスは先にアール・ヌーヴォーの自邸から一転して新古典主義へと至っていた。ル・コルビュジエはベーレンス事務所をほとんどアルバイト感覚で訪れていたとされ、あまり重視されないが、この経緯はル・コルビュジエがベーレンス・ショックを引きずったことを示唆してはいまいか。ショウォブ邸を指して、ル・コルビュジエは、「オーギュスト・ペレがペーター・ベーレンスよりもっと私に多くを残したことを見ることができますよ」と、ペレ本人に書き送ったという(en.wikipedia)。なぜわざわざベーレンスを引き合いに出さないとならなかったか。それほどトラウマになっていたのだろう。ベルリンで何があったのか。ペレに何か負い目があったのか。シュウォブ邸の外観はパラディオ的なもの、シンケル=ベーレンス的なものを折衷させていて、ペレ的ではない。コンクリートの合理的な使用はペレ由来だが。

 ペレのもとでの研鑽が合理主義をより深く理解させ、ドミノに至ったわけだが、それはストレートな流れだっただろうか。ベーレンス的新古典主義体験が古典へと向かわせ、その後、ル・コルビュジエの古典主義的モダニズムを引き出させたのだったろう。ネオ・プラトニズム的な幾何学立体の再発見、シュタイン邸での黄金比、パラディオ的数列型プラン。ドイツでは反建築(アーキテクチャー)論が渦巻いていた。グロピウスはあえてバウを選んでバウハウスを命名し、アカデミズムの建築=アーキテクチャー論批判の姿勢を取った。そう見れば、ル・コルビュジエは保守反動。あるいは対抗宗教改革か。

 幸せなル・コルビュジエ。急進主義者がぶつかり合って、まるで宗教改革のような騒乱状態のドイツにエッセンスを見出し、知らぬ顔してペレの弟子顔でオブラートし、時代を超えていこうとする。メディアを舞台に颯爽と。そしてルネサンス芸術家のように天才個人として成功を収めていく。20世紀様式はそのようにして確立された、ル・コルビュジエ神話が残った。新しい世界観を築いた業績は見事だが、彼は舞台で主演を演じる役者であり、それを作り上げたのは舞台裏のプロフェッショナルたちだったことが見落とされがちが。21世紀を築こうとする人たちには、舞台裏をよく見て欲しい。

 今、20世紀パラダイムから21世紀パラダイムへと転換するのに必要なのは、カオス化した造形世界に古典主義の形式を導入すること。つまり言語体系としての古典主義。働かすべきはウェルニケ野。ドミノへと至るまでのプロセス。セセッション的還元論の先の統語体系。