脳に思考停止を促す様式

 神経経済学というジャンルができているとのいう。株式投資などに際して意思決定する際に、専門家の言うことに無防備に信頼してしまう現象について、それは一方の報酬予測や情動的な認知・決断に関わる大脳辺縁系の前帯状皮質と、他方の理性的で抽象的な思考により衝動を抑制する前頭前野の背外側前頭前皮質が不活性となって起こる現象なのだと言う。(参照=http://www.hitachi-hri.com/keyword/k057.html)ここで専門家というのはクライアントが心理的にそのように認知しているだけでよいだろうから、本当の専門家でなく、専門家を偽装する詐欺師であっても有り得そうだ。知識量の圧倒的な差異が、自ら悩む必要のない全面的依存へと駆り立てる。

 ナチス建築はメガロマニー(巨大さ嗜好)で知られるが、日常の身体感覚を超越する巨大な壁面、円柱などが圧倒的な差異の感覚を引き起こし、人々の情動を麻痺させたのだろう。それは一種の新古典主義様式の時代をなし、ナチスによってプロパガンダの手段となった。様式を脳科学的に解釈するためにひとつのサンプルとなろう。脳を叩かせるのでなく、働かせないという抑制的、否定的なアクションだ。

 ナチス新古典主義古代ローマの巨大な神殿群に範を取っていたので、古代的な手法と言えた。神話的な世界を民衆に見せつけ、神々の世界と人間世界の間のスケール的な差異を目に見えるものとするのである。他方、バロックの時代の宮殿もまた単調で巨大な次壁面を特徴とする。プラハの丘上の大宮殿はそのようなもののひとつだが、カフカの小説に出てくる近づきがたい山上の城がもたらす心理的効果を連想させる。バロックと言えば楕円やうねる曲線に象徴されるわけだが、宮殿建築はフラットで巨大な壁面、エッジの効いた横長の矩形の輪郭を特徴とすることが無視されがちだ。巨大スケールにおける秩序感と細部におけるカオスというコントラストが、この時代の造形心理を的確に物語っている。近づきがたい宮殿というのは、やはり思考停止を求めるもの。

 出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てない、ということにも通じるか。対応可能な相手であれば、脳は対応方法を考えることができるが、対応できないとなれば放置し、あるいは全面服従するしかない。それもまた建築デザイン表現のひとつである。民主主義の時代には、巨大な壁面や形態は避けるべきだ。人々が批判的な発言ができず、思考停止するようでは、民主主義は成立しない。

 コールハースCCTVはどうなのか。あれは巨大権力をメタファーとして揶揄したものなのか。グローバリゼーションの時代の心理を表現したものなのか。中国人は、あれをパンツだと言うのだそうだが、そこに政権批判も込められているのか。あるいは諦め感を示す自嘲的なことばなのか。ザハ・ハディドの異様に巨大なオブジェのような建築はどうなのか。時代のバロック性を象徴しているようではある。あるいは遠くから見て、掌に収まる玩具のような感覚なのか。共産党体制での新古典主義的な政治的建築とは対極にあることは確かだが、あるいは新しいファシズム建築のスタイルであるのかもしれない。微妙は境界線に立っているようだ。