21世紀の神と神殿

 いったいいつから人間は神を意識し始めたのか。そしていつから神が消えたのか。

 生命体に脳が発生した時から、神のようなものが意識され始めたのではないか。生物は生存欲求がプログラム化されているが、環境にはそれを阻害する要素が満載されている。ガイア論的環境は生命体の存続を支えているが、異常気象などがそれを脅かす。愛すべきものも恐れるべきものも大自然にある。いわば生命体にとって外界のすべてが神。

 つまり、生物にとって超越的なものがすなわち神(に相当するもの)だった。もちろんまだ神という概念も言葉もない時代。

 神が概念となるのは、脳が進化し、大脳皮質が発達した後だったろう。ホモ・サピエンスが発生した頃には脳内に神のイデアが生まれていたろう。アーとかオーとか、原始的な発声の中に、神を意味する言葉が出現していたかもしれない。

 古代人は神々として特定し始める。エジプトの神殿には鳥やスカラベやら、複数の神々が図像化されて刻まれている。それらによって大自然は神々の空間と想定された。アクエンアテンは太陽を一神教としてそれらを統一しようとしたが、失敗し、多神教に戻る。神殿内の至聖所には舟が置かれ、人間界と神々の世界をつないだ。

 その後、ギリシャ、ローマは神々を擬人化し、多神教を一段階レベルアップした。神殿はその神の住まいとされた。人間界と神の世界は区別されるが擬人化を通してつなぎ合っていた。

 キリスト教イスラム教といった一神教では預言者の向こうに唯一者としての神がいるとされる。神ははっきりと概念化された。しかし形なきものである。愛すべき、あるいは恐れるべき超越的ななにかだったものが、ここでは抽象的な神となる。

 神の観念は人類以前から人類へ、現代へと続く、生存欲求や種保存欲求に対峙するものである。それは感覚的なものから概念的なものへと進化してきた。脳の発達過程に合わせて。

 ヴァグナーが神々の黄昏を言い、ニーチェが神の死を宣告したとはいえ、愛すべきかつ恐れるべき大自然は消えることなく存続している。神の観念は否定されようとしたが、実態として、神は人がつくった概念をすり抜けただけ。

 ルターらの宗教改革は中世キリスト教の体制を崩したが、ルターは教会体制を否定して聖書に戻っただけ。カルヴァンは日常生活の中にすでに神がいることを説いただけ。神はより抽象化して発見され直しただけ。ルネサンス文化は神が教会堂で聖職者に守られてでなく、人間の内側にすでにいることを示した。バシリカ式が否定され、集中式となったのは、儀式を通してしかでなく、大宇宙にいる神を直接的に接することができることを示そうとしたから。

 

 

 大宇宙の神は、啓蒙主義の18世紀に自然科学に直面する。自然の論理に神は内在することとなり、聖職者に科学者が取って代わる。科学はゆっくりとしか発達しないので、科学が解明できない部分では聖職者の役割が残るので、聖職者と宗教が消え去ることはなかったが、その効用範囲は次第に狭くなっていく。宗教と科学は対立するもののように見る向きもあるが、そうではなく、科学は宗教を追い込み続けるという構図。科学は神秘としての大自然、大宇宙を人間のロジックの書き換える作業だが、それが人工的である以上、無限に続く作業。その果てにあっても、神は生き残るもの。

 ただし、神を騙る、進化の系譜上に遅れている聖職者ビジネスマンたちのことはここでは論外。プラシーボ効果としての宗教が大半。現代の科学の時代には、無神論者こそむしろ神というものをよりよく理解している。

 現代にあっては、神は神殿にも、教会堂や寺院などにも居ないかもしれない。工場、オフィスビル、あるいは科学的分析を通した機能的な住宅にこそ、本来の神は宿っている。他方で科学の先端が追いかけるガイア生態系などに、古来から続く、愛すべきかつ恐れるべき神は居る。

 原子力発電所の巨大な建築物は、いわば現代の神殿。核燃料とはすなわち恐れるべき自然。それを電気を取り出すための物質としか見ていないことに間違いがあった。それは人間の技術を超越しており、太古の人類が神として、またそれ以前の動物たちも恐れた超越的な力。かつて人類が神の怒りと見たものを、今、私たちは炉心溶融に見ている。古代人が原子力発電所を見れば、神殿と捉えるはず。ある建築家が福島第一原発の4つの手に負えなくなった建屋を、4つの神社に見立てるデザインを提示していたが、これはひつとの卓見。

 震源のプレート境界、火山のマグマ溜まり、エフェメラルな台風など、それらもなお人間科学が手に負えない恐れるべき超越者。他方でガイア論の言う地球生命圏という愛すべき、あるいは縋るべき超越者。これらにも、古代神殿に相当する建築物、工作物を装備させ、現代の宗教(のような)施設とすべきところだろう。聖職者としての科学者を配置。もちろん科学万能と思い込まない、未知の神秘を頭の片隅の残す科学者を。神の進化過程を理解できる科学者を。

 ここで言う神殿はメタファーとして。現実には人間−環境系に無数のコンピューター・チップが分散配置され、地球生命圏がサイボーグ化した時代。地球が人間のすみかであると同時に、巨大な神。地球を畏怖しつつ、愛する。生態系を保全しつつ、脳化、身体化。21世紀とはそういう時代なのだ。生態系という掛け替えのない生成成果が愚かな人間によって消し去られないよう。