アール・ヌーヴォーとイスラム建築

 セセッション建築は二次元的である。ワグナーの壁面は平坦で、壁面はグラフィックス・デザインの壁紙のようになる。古典主義建築の伝統上ではこれは普通ではないように見える。円柱が林立するファサードは古代の神殿を理想とする、立体感のある彫刻的な発想だった。これはイスラム建築の二次元的な壁面デザインにやや近いと言えるだろう。そこでは壁面は平坦で大きな幾何学の輪郭を持ち、ぎっしりと幾何学文様によるモザイクが貼り込められる。

 もっとも、ルネサンス建築はファサード芸術とも言われるように、ファサード張りぼての二次元芸術という一面もある。アルベルティがその最たるもの。しかしパラディオになるとファサードの微細な奥行感がテーマとなる。ヴィラ・ロトンダは立体的だが、ヴィチェンツァのパラッツォ群は二次元的。しかしそれはレリーフのように微細な立体感を伴っている。イスラム建築ほどに完全な二次元性となならない。

 セセッションも含めて、ヨーロッパ規模のアール・ヌーヴォーは、古典主義の伝統を否定するように二次元デザインになだれ込む。アドルフ・ロースもそこに含まれる。アール・ヌーヴォーが開いたポスター芸術も関係している。もっとも、アール・ヌーヴォーは植物的な曲線を特徴とするというのが定番。そこが違うのか・・・、と思いきや、イスラム建築の壁面にはアラビア文字のカリグラフィーがあって、それはアール・ヌーヴォーの曲線を連想させる。なるほど、総合的な工芸作品と見ればアール・ヌーヴォーイスラム芸術は造形構造として近似している。

 P.ベーレンスのヴィーガント邸の内装で、古典主義的なデザインなのだが異様に平板なものがある。古典主義の立体感を消し、二次元化させたい意思が見て取れる。

 なぜモダニズムの始まりが二次元化だったのか。浮世絵のような二次元上の版画的抽象性が好まれたという時代相。しかし、それもなぜ。そこにイスラム芸術が関わっていなかったか。ただ、イスラムと特定することにあまり意味はないのかもしれない。イスラム建築は透明性の高い論理に従うのであり、単純明快なプラン、輪郭を特徴とし、そこに幾何学的な一貫性を見せた。余計な雑念を排除する精神性が、そのような独特の幾何学世界をもたらした。シトー派にも共通する禁欲的な清貧性の精神から生まれ出る発想。モダニズムはそのような意味で19世紀的な奢侈を否定する清貧性の上に立っていた。

 はるか地球の裏側から来るジャポニスムに頼るより、イスラム世界は近い。そこでイスラムと名指しされることはなくとも、その造形精神は浸透していただろう。そもそもルネサンスの科学精神にはアラビア科学からの大きな影響があったという。イスラム建築は南スペインに、またシチリアに見ることができたし、考古学者たちはオリエントに展開し、近東、エジプトのイスラム建築をも身近にさせていた。ヨーロッパの黄昏を超え出るのにイスラムの造形精神は足がかりとなることができたはずだ。

 アール・ヌーヴォーが始まるのにイスラムの造形精神がひとつの切っ掛けになったことは十分に考えうる。19世紀末期ヨーロッパは脱ヨーロッパ、そして世界普遍化を目指した。モダニズムは世界芸術として始まっていた。

 ただし、ここで言うイスラムの造形精神とは中世の、科学先進地だった時代のものである。権威化するキリスト教のもとに科学精神を失っていったヨーロッパを尻目に、当時のアラビアは近代化を先導していた。今、人々がイメージする、遅れたイスラム世界とは随分と異なる。