ミケランジェロにもう一度訊こうか

 システィナ礼拝堂を見てから、もう40年以上になる。若い時に感覚だけで感動したミケランジェロの天井画、壁画は、知識を積んだ今見ると、違って見えるのではないかと思う。もう一度見る前にNHKの作成した2010年頃の番組を使って予習をした。

 天井画はミケランジェロが30代半ばの作品。ローマ教皇庁ルネサンスの息吹が入り込んだ時のもの。ユリウス2世のもと、カトリックが殻を破り、開かれた。新約聖書の枠を越え、旧約聖書、そしてギリシャ神話にまで遡及した。間をフィレンツェルネサンスに接近したルネサンス人エジーディオ・ダ・ヴィテルヴォが取り持ったという。人間の原点に還って世界観を問い直した。いわばキリストを神の世界から人間の世界に引き戻し、理想的な精神を再生させようとする。まさにルネサンス。中世に教義と典礼でガンジガラメになった宗教が解きほぐされ、洗い流され、生身の人間を露出させようとする。ルターの宗教改革以前に、教皇庁の中で改革は始まっていたようだ。だからこそミケランジェロの出番もあった。今では対抗宗教改革と訳語が変わったが、確かに改革は起こっていた。

 1527年、ミケランジェロフィレンツェ革命に参画して挫折し、2ヶ月間を地下に潜る。同年にはローマ劫略の大事件があった。ミケランジェロはその後に依頼された最後の審判の壁画で、画風を一変させた。明るいルネサンスの天井画から、暗い、怯えるような壁画へ。ルネサンスからマニエリスムへの変化に相当するか。表の明るさの陰に、裏の暗い心が隠れていた。脱皮した皮のような自画像は象徴的だ。表も裏も見える人間に成長したミケランジェロ

 明るいモダニズム、転機となるマニエリスム。同じ構図が20世紀にもあったことになる。ミケランジェロは盛期ルネサンスから初期バロックまでをひとりで歩み、作風を変転させた。そこには内的な変遷過程があったはずだが、外的要因の働いていたようだ。しかしその変遷にはしっかりとメカニズムが内在しており、ミケランジェロはそれに操られていたと言ってもよい。一種の集団的無意識。ルネサンスを天才の時代とばかりに片付ける傾向があるが、天才の才能を開花させたのも、作風を変えさせたのも、人間社会のある種の生命体リズム。ルネサンスは人間社会のバイオリズムがもたらした、生命感再生のプログラムだったのだろう。行き詰まりの時代には必ずルネサンスが起こるもののようだ。そしてマニエリスムも、バロックも、ということだろう。

 ミケランジェロの芸術脳は人並み外れたものだったろうから、別格だろうが、誰でもがある程度はミケランジェロ的にはなれるはず。感性を解放する手法が見いだせれば。それが難しいのだが。時代と社会と環境に恵まれねばならない。しかし状況に恵まれてもブレークスルーする動物的な「脳」力、そして意思が必要。

 ミケランジェロは孤独だった。ひとりで駆け抜けていった。誤解ややっかみを踏みしだいて。そこには批判精神があったはず。旧来の慣習に従っていれば力は半減したはず。つねに現状を打破する姿勢。だから先頭に立って、自らスタイルを変遷させることができた。つねにイノベーション自己実現でもあったろう。人間の時代。少しは見習わなくてはならない。このガンジガラメの時代に。

 もう一度、システィナ礼拝堂でミケランジェロに耳を傾けよう。

 それにしても教皇庁というものが益々わからなくなってきた。宗教活動に専念してきたのかと思えば、結構、軍事力好き。中世も教皇は有力貴族から選ばれていた。永く十字軍の旗を振った。ルネサンスには礼拝堂を美術館にして信者集め。免罪符を売っては大宮殿、大聖堂建築。しかし、確かに天才ミケランジェロに舞台を提供して開花させた。宗教はメディア論として読み解くべきか。やはり宗教脳の神経機構を研究しなければならない。