建築のリアリズム美術について

 クールベのリアリズムは、どのような脳内現象なのか?新古典主義の英雄的な理想主義を否定し、他方でロマン主義の深い個人的心情告白も否定する。いずれも何か嘘くさい。そう思ったとき、目の前の現実世界が目を落ち着かせる。実存主義的。クールベはそのままの自分の姿、そして友人たち、複雑な社会をそのままキャンバス描こうとする。強い感動もないものを題材にする必要があるのか。当たり前の日常を描いても意味がないだろうに、なぜ態々?リアリズムはそもそも芸術に必要なのか?遠い理想、深みの心情、そういった現実から大きく隔たったクオリアを壊すためのふるまいなのか。相対主義。強い遠心力を逃れ、強い求心力も回避するべく、それらの否定に意義を見出す。批判的な美意識か。

 リアリズムという言葉は美術の世界では「写実主義」、社会・社会の世界では「現実主義」と訳される。いずれも19世紀の中頃に隆盛となっている。芸術ジャンルの中でも建築にはいずれの言葉もない。この時代は歴史主義、折衷主義、あるいはビーダーマイアーが関係する。古代ギリシャパルテノン神殿が白色ではなく、白大理石に極彩色の装飾が施されていたことが次第に知られるようになり、白色の新古典主義からポリクロミーのネオ・ルネサンスへと転換する。これも一種のリアリズム、つまり理性的な幻想から感性的な実態へという移行だったとしてよいだろう。理性脳から感性脳へ。前頭葉の独裁から、後頭葉、側頭葉の復権へ。それはいわば脳内社会での独裁制から民主制への移行、一極集中から多極性への移行を象徴している。マニエリスム的な転換という意味では、身体も含めたトータリティの回復。リアリズムとは単に現実に戻るというだけでなく、人間の全体性を再確認することだったのか。

 アドルフ・メンツェルは、英雄フリードリヒ大王がロココ装飾に包まれたサンスーシ宮殿でフルートを嗜む姿を描いた歴史的な絵画を残した。他方でシュレージエン地方の製鉄所で働く労働者たちの息詰まる場面をダイナミックな絵画に描き、19世紀中頃のリアルを芸術化した。他方でベルリンの自室と窓の外のやや乱雑なスカイラインになった新市街地の都市風景をそのままに描いた。歴史的英雄主義とリアリズムの両極に股をかけていたことになる。産業革命の進行と巨大化してスプロールする大都市の実態を直視。他方でクールベはアカデミズムを否定しつつ、パリコミューンで反乱者に与し、コンコルド広場の円柱モニュメントを倒させる。これは一種の批判的建築論かもしれない。エンゲルスマルクスが活躍した時代だった。

 建築はそもそもパトロン、つまりお金を出す人たちの支援がなければ仕事にならない。こういった美術界のリアリズムには本来的に関わらない。ただ、産業革命は大規模な工場を生み出していて、建築エンジニアたちが関わっていた。エッフェルはそこから19世紀後期に英雄になっていくが、大多数のエンジニアは影に隠れている。メンツェルの製鉄所は鉄骨をあまり秩序立たないまま組んだプラントを見せているが、建築の姿ははっきりしない。たいていは素朴な煉瓦壁の大きな建物で、鉄骨構造の屋根がかかっていたのだろう。労働者の環境は過酷だったことはわかる。

 19世紀を通して、次第に鉄骨建築が表舞台に出てくる。ウィトルウィウス主義は続くので、コリント式の柱頭装飾を持った細長い鋳鉄製円柱がインテリアに組み込まれるようになる。建築様式に英雄主義とリアリズムが合体する。イギリスやフランスで巨大な駅舎が登場するが、そこではファサードこそ歴史主義装飾を持つものの、内部は鉄骨造ガラス天井のプラットホームとなり、異種構造物が強引に組み合わされる。理想主義とリアリズムの調停は20世紀を待たなければならない。

 建築におけるリアリズムというものを唱えることも可能なようである。