ミニマリズムの隔離病院を

 シンガポールで見本市会場を感染者収容施設化した光景は印象的だ。展示ブースのようなもので病室がつくられ、ベッドが置かれている。整然と並ぶ病室群はミニマリズム・デザインのように見える。通路にはロボットがしずしずと動き、物品の輸送をしている。中世の教会付属の病院を連想する。壁沿いに整然とベッドが並ぶだけの、シンプルで大きな空間。あるいはデュランの出版した『建築講義要録』に見る病院。今日ではプライバシーのためにかろうじてパーティションで個室化してある。そしてデジタル技術を投入。

 そんなことは先端技術国家の日本でなぜできない。岡江久美子の教訓。なぜ自宅待機ばかりさせられる。ベッド数が足りないからという理由で、次々に死者が出てる。遅い行政は稟議のせいか、政治家に自主性を奪われた行政マンたちのせいか。忖度政治きわまったか。いずれにせよ現場感覚があれば、仮設でも隔離病棟をすぐに作りそうなはず。シンガポールの素早さは世界が一目置いている。ただ外国人労働者たちが置き去りにされているらしいのが気がかり。話がそれてしまった。

 メッセ施設は基本的に何もない大空間。臨機応変パーティションで区切るから何もない方がよい。多目的。パンデミックが数年おきに常態化しそうなら隔離病棟を兼ねるようにデザインしておいてよい。シンガポールで気になるのはブースの天井が抜けていて、個室別の空間管理がしにくいこと。一人の大きな咳が大空間に響き渡るだろう。ならば天井パネルを用意すればよい。できれば壁も天井も遮音。安心感を得るためには華奢な一枚パネルでなく、厚みのあるものに。

 構造体をシステム化して安定させ、また個室の空気は交換できなければいけないからダクト・システムを備える。要求は多くなりそうだが、そんな隔離病棟は絶対に必要になる。ヴェネチアでは孤島が恒久的な隔離病院にしてあった。日本でも結核の隔離病院は常設だった。ハンセン病院の失敗は忘れてはいけないが、正しい科学による隔離病院は必要な時代だ。

 仮設だからミニマリズム感覚がふさわしい。清潔な施設にするためには清掃にも便利に。すべてをフラットに。安っぽいプレハブ建築というのではなく。リューベックの精霊病院は、簡素ながら見事なゴシック装飾とファサード。美しいミニマリズムのデザインが患者の心を癒やすものでなくてはならない。パネル壁は木材の板張りでもよいか。天井板の木目は感性を豊かにさせる。ただし木材に頼るのは安易な修正主義者か表層論者か。