神の進化過程

 脳科学の読書からひらめくことが多々ある。

 脳は進化してきた。爬虫類、哺乳類、人間へと。脳幹から大脳辺縁系へ、そして大脳皮質へ。それはコンピューターの発達過程にも似ているという。モデュールから相互作用へ、PCネットワークからWWWへ。そのような進化過程は人が脳を使う使い方の進化過程にも通じないだろうか。特に神観念の進化過程へ。

 神秘体験は側頭葉を刺激すると現象するという。神を意識できたとして、人間はそれを大脳皮質、前頭前野で解釈しようとしてきた。文明の進化過程は神の捉え方に変化を続けてきたのだろう。

 古代のアポロ、ゼウス等々の神々は、いわばモデュール化させられた神々と理解しよう。それぞれの神には超自然的な能力のほかに、まるで人格のようなものが規定される。神々は互いに闘ったり融和したりする。

 中世の一神教では神は目に見えない世界にあって超越的な力を持っている。しかしその性格が一つに規定されることはない。いわばモデュール化した神々は絶対性を失い、相対化され、使徒ら聖人たちの相互作用を介して超越神の存在が感得される。

 近世には人間中心の時代が訪れるが、神が消えたわけではなかった。聖人たち、彼らがもたらした儀式は無効化されたが、個々人が神と直結した。人々の脳が描く仮想のネットワークの上に神は君臨した。

 さすれば近代は? 科学の時代は自然現象の中に絶対的な真理を想定することとなったが、それが神の新しい姿だった。日々、科学は進歩するが、それは人が神の本当の姿を知ろうとする営みである。幻は恐れるものでも、祈るものでも、称賛するものでもなくなり、問いかけるものとなった。アニミズムとは違うものの、同じく自然界のすべてに神を見る、新しい自然崇拝の形式がそこに生まれた。自然を理解し、自然に手を加える人間の内にも外にも神がいることになり、もはや一々、神がどうのこうのということの意味はなくなる。

 もはや神はいないのか? いや、いるのだが、変化してきた神というこれまでの観念では捉えきれないのだ。現代の神がどのようなものか、この時代を生きている人間には言葉に出来ないだけである。人間の進化はまだまだ続くので、さらに神パラダイムは進化するはずであり、オープンエンドであることも忘れてはならない。

 そのような神の進化過程をベースに、あらゆる人間の歴史を解釈し直したいと思う。