ゴシック大聖堂と脳

 ゴシックの大聖堂は脳科学的に解釈できるのか。なかなか答えが見つからない。中世においては個人は埋没していた。ルネサンスとともに人の個人的な能力が直接に評価されるようになるが、中世には芸術家の名前もおぼろげでなる。そこでは個人よりも共同体社会が優先されていて、個人は全体に奉仕するのが当然という心理構造があっただろう。

 そこでは社会集団の心理がテーマであり、アドラー心理学のような共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)で解釈する方が理解しやすい。生得的なレベルでの生物学としての脳研究は役に立たず、後天的な社会心理の生成についての研究の領域なのか。アドラーは人間をホリスティックに眺めていた。身体がひとつのモナドなのか。モナド群が社会をなし、ひとまとまりの社会の利害が共同体意識をつくる。

 そこでは教会堂はひとつの共同体を収容するシェルターであり、いかに強固なシェルターとするかが課題となる。共同体をなさなければならない理由は、例えば農業生産における共同作業、社会の内的な秩序を保つための民主的な社会運営、つまり政治と行政、他の共同体との対立・協調関係からくるテリトリー、境界線の意識。教会堂は共同体に神の恩寵があるようにという、安心・安寧心理を操縦する施設。

 恐怖を感じる扁桃体が興奮状態を脱するためのツールとしての宗教というもの。教会堂は扁桃体の緩和手段。そこでは具体的にどのような建築的なメニューが用意されているのか。あらゆる項目が関わるだろうから、すべてを挙げるには手間がかかるか。

 例えば、大集団を収容するための大ホールとしての教会堂。その集団がひとつの儀式(ミサ)に参画し、聖歌をともに歌い、殉教者キリストの善意を共感する。聖俗の区切りをつけるために重厚な壁によるロマネスク様式、地上と天上を結ぶ垂直軸がモチーフとなるゴシック様式がそこに生まれる。

 個々人の脳は、例えば立ちはだかる重厚な壁に囲まれて、洞窟住居に原始人が覚えた庇護感覚を覚えたか。垂直軸線は森の大木の頼りがいのある依存相手と感じたか。扁桃体から恐怖感を解除させるのに貢献したことだろう。ロマネスクの壁にはわずかながらの素朴な装飾が生まれはじめる。窓は素朴な円形アーチで閉じられて安心感がある。壁が各部位に細かく分割され、解きほぐされていく過程において、ゴシックに遷移する。そこに垂直線が次第に明確に、また繊細に表現されていく。区切られた丸柱は次第に足元から天上の頂点まで続く一直線に変貌して、固有の生命感を帯びていく。大きくなった窓にはステンドグラスが色彩と光の芸術的演出をなし、そこに聖人たちの大きな像が描かれて、多数の聖人像が周壁をかたちづくる。庇護感覚はますます高められる。

 とりあえず、扁桃体が大きく関わることはそのように説明できよう。もっと多様な部位との関係を知りたい。