ゴシック様式・・・ つづき

 様式は数百年継続した。この継続性がテーマ。庇護感は長続きしないだろう。基盤的な庇護感は持続するだろうが、次第に薄れる。より強い庇護感を得るにはより新しい要素を持って、人の感覚を刺激しなければならない。新しい刺激をもたらした新しい工夫も記憶に残されると刺激的ではなくなる。例えば視覚的に、以前よりもさらに刺激的な視覚表現が求められる。素朴なゴシック様式は、より繊細に、より大胆に、より刺激的になっていくこととなる。

 教会堂の内部では、信者は様々の苦悩から解放してもらいたいと願う。苦悩の原因は教会堂の中で取り除くことができるものではないが、苦悩に耐える、あるいは苦悩をぼかすために、宗教が貢献する。教会堂の建築物は世俗の些末なことがらを一時的にも忘れるような仕掛けが備えられている。信者席でひとり祈っていれば、個として神に直接つながるように感じることができる。厚い壁の内部はひと目も届かず、静寂で雑音は聞こえてこない。壁や柱は聳え立ち、天に届くような感覚を覚える。世俗的な感覚を離れ、意識は高みに引き上げられ、心身の苦痛を忘れさせる。感覚器官が取り込むものと脳が組み立てる意識の間にズレが生じる。

 心が大きく現実の身体から遊離することで、人は恍惚感を味わうこととなる。感覚器官の能力を超えるには、視覚の範囲を越える聳え立つ垂直の空間、ステンドグラスの光を満面に帯びた聖人の絵画像、石壁の間を反響するオルガンの音楽など、閾値を超えて日常の感覚を乱す要素が教会堂に備わっている。ピークフローの理論だ。そこに神の存在が幻のように感じ取られることとなる。幻視、幻聴が起こることもあろう。

 薬に免疫ができてしまうように、恍惚体験は以前より以上の刺激を必要とする。教会堂の造形・演出者は信者の欲求に答えるべく、効用が持続しなくなると刷新が必要となる。他の教会堂で見てきた新しい工夫を取り入れることが求められたりしたろう。そうして新しい芸術様式が伝播し、また進化し続ける。

 恍惚感は快感物質によるだろうから、例えばドーパミンを放出させる刺激があるのだろう。快感のメカニズムが働く報酬系が活性化する。