三次市民ホールは洪水に事前対応してデザインされていた

 2018年7月豪雨災害。広島県ではあちこちで土砂崩れが起こり、犠牲者も多数。岡山県では真備での洪水災害がメディアで大きく取り上げられた。相対的に目立たなかったが広島県内でも、中国山地三次市の盆地で洪水となった。三次市民ホール「きりり」も水に浸かった。ただ、それは設計当初から予測され、対策が立ててあり、案の定ということになった。

 設計プロポーザルの段階から、青木淳氏の提案は他とはっきり違っていた。3.11を経験した後、まずはリアルに災害対応が大前提。ブティックのしゃれたデザインで知られる青木氏の提案として意外だった。建物本体は嵩上げした形となり、地上は全体をピロティとするという。あまりにざっくりとした提案。しかし、このクリアな合理主義が、今度の洪水で有効性を証明した。

 プロポーザルはプログラム提案のようであり、出来上がる建築物の姿はよくわからなかった。竣工後の姿を見て、もう一度驚かされた。外形はインターナショナル・スタイルの再来。悪く言えば無骨。そして大ホールの内部はまるでバウハウスに帰ったかのような、無駄のない幾何学デザインと色彩処理。モアレのエフェメラルな表層は見当たらない。モダニズム初期の合理主義。ポスト・モダンの熟成しつつあった時代に、意外。つまり、青木氏のスタンスは当初からそうだったようだ。

 モダニズム批判に始まるポスト・モダンは、すぐに俗物化し、形や色の遊びに走った。思想の意味を理解しない俗物建築家たちにとっては、装飾と勘違いした。リアルから遠ざかった。飽食の時代。消費型資本主義。浮ついていった。ポスト・モダン文化はもはや批判対象に。そして哲学者も「新しいリアリズム」を言い始め、転換期がきたようだ。

 この転換期に、この三次市民ホールを見よ!リアリズムに帰ろう。エフェメラルから、本質の方へと目を移そう。霧の漂う盆地風景が美しいことから、「きりり」という名が採用されたというが、この際、姿勢を正すといういみでも、きりりと行こう。

 時代はマニエリスムバロック、そしてロココに至って終わる。「高貴なる単純と静かな偉大」という新古典主義への逆転。そしてバウハウス革命が近づきつつある。どのように21世紀スタイルへの転換が起こるか、予測はむずかしかったが、相続く災害への対応から、合理主義が、そして新しいスタイルが生まれようとしているようだ。三次市民ホールに学べ!