ルネサンス脳は側坐核に?

 人類の文化的進化論。古代、中世、近世。中世脳の宗教社会がわかってきた。その後に近世脳。ルネサンス。どのように。

 小脳扁桃という部位は恐怖感と喜びの二元的な感情に関わるという。先史時代のホモ・サピエンスは自然界で生きていくために、この機能に立脚していたのだろうか。不可思議な気象に翻弄される恐怖感、それを克服したときの喜び。前頭前野ストーンヘンジのような儀式的構造物を発明させたか。そして次に恐怖を含む様々の感情を制御する扁桃体が支配的となり、それに対しては前頭前野は古代の神話世界を生み出し、架空の物語りから神の住まいとして神殿が登場する。中世宗教社会は前頭前野の物語り機能に集団的な感情の絆という次元を開いた。そこでは個々人のポジティブな儀式参加行動が求められ、成功すれば宗教的な恍惚感を得る。オキシトシンか。その延長上、次の近世がよくわからなかったが、やる気スイッチの側坐核が関係するか。

 報酬系腹側被蓋野からドーパミンが発する。側坐核はGABAでそれを抑制するが、抑制しないで快感をコントロールできるとか。ルネサンス人は快感に満ちている。ボッティチェリのあのヴィーナス。暗い中世が消える。美。それは視覚を通しての快感。フィチーノを参照すれば音楽も関わるようだ。扁桃体はフェードアウトしたか。

 アルベルティのファサード。部位と部位、部分と部分が比例調和しあい、対称形をなす。シンメトリー。目の快楽。脳の中で完結。人間礼賛の時代。メディチ家の面々のヒーロー像。ダヴィンチの芸術。目と脳と手の三位一体。もはや外なる神々の時代は終わった。信仰の抑制的心性の時代の終わった。

 側坐核が支配する時代。信長も秀吉もそうだったか。利休の美意識をわがものとした秀吉。もっと派手にやりたいのを利休がかえって邪魔となったか。ドーパミンが止まらなかったのだろう。コカインもドーパミン抑制メカニズムを破壊する。カフェイン茶を飲みすぎた?それを見て、家康はセルフ・コントロールする術を見つけたか。快感を制御しつつ、そのうちの権力欲だけは残った。革命の後には独裁者が残るもの。

 近世には神話も信仰もフェードアウト。したはずが、東照宮に、寛永寺増上寺輪王寺。神も仏も、新しい人間によって牛耳られた。側坐核玉座に。これは文化的進化と見なすべきだろう。生物的進化を通してホモ・サピエンスが獲得した脳は、その使い方の進化へと移った。神話も信仰も、そして近世の人間中心社会という社会づくりの手法も脳の生み出したもの。

 ルネサンスの美は古代的、中世的な束縛を脱して、自由に花開く美へ。純粋に人間的なもの。とはいえそこにはトーナメントのような生き残り競争があり、英雄はひとりに絞られる。家柄の時代から下剋上の時代へ。自由競争。強者の論理。腕力とずる賢さも。腕力は肉体的な人間中心主義。ずる賢さも脳の能力の一端。近代的な自由主義の始まりがここに。それはアメリカン・ドリーム型の自由主義まで続く。

 競争はいつも平等ではない。この競争の優勝者は国民を置き去りにして栄華を誇り、際限なき快感へ。最下層からトップにのし上がった見事なスーパースター秀吉。しかし凡庸な息子に引き継がせるために悪行。続かなかった。玉座を掠め取った家康は自由競争を封印し、個人主義的な人間感、人間礼賛のの理想はあっという間に消え、醜い王朝体制へ。まるで社会主義の理想を絡め取った金王朝のように。

 

 ルネサンス芸術からバロック芸術へ。ヴィラ・ロトンダからヴェルサイユ宮殿へ。玉座にたどり着いた側坐核は際限ないドーパミン漬けへ。近世芸術は400年ほどは続いたが、その過程で段階的なメタモルフォーゼを経験。側坐核の独裁を終わらせたのは、理性の時代。玉座は脳のどこへ。それに答える課題が残ってしまった。