ウィルス時代の都市社会システムへ

 人新世はホモ・サピエンスがつくる時代。都市はヒトが生産効率を上げるために生み出された社会形態。ジェリコから始まって、メソポタミア都市、エジプト都市、エーゲ海都市、ギリシャ・ローマ都市、キリスト教都市、ルネサンスバロック都市、近代都市、そして現代のメガロポリスへ。ここではヨーロッパを中心舞台と考えてだが。

 Covid-19の分布地図は衝撃的だ。感染者数は先進工業国に圧倒的に多い。中国からEUへ、そしてUSAへという流れ。武漢からミラノ周辺へ、そしてフランス、スペイン、イギリス、ドイツへ。ニューヨークでピークを迎える。目立った現代都市が連なっている。まるでインターネットのハブがつくるネットワーク・システムのようだ。そうだ、ウィルスは現代のグローバル都市社会システムが温床なのだ。

 Covid-19は上気道、下気道で繁殖し、呼気に乗って人から人へと伝わる。ホモ・サピエンスは言葉を発明し、言葉文化で文明的な進化を果たしてきたから、発声はポジティブなものだが、ミクロンレベルのウィルスはそこに乗っかった。ウィルスは狩猟採集民のように肥沃な地帯を制覇することを覚えた。Covid-19は以前のウィルスより巧妙な生き方戦略を獲得して進化したようだが、まだまだ21世紀を通して進化しようとしているようだ。撲滅は難しいと識者は言う。

 現代都市文明だからこそのウィルス時代。人新世はパラサイトするウィルスの時代でもあるのか。種の保存という観点からは、1%程度の死者は必要悪のようなものかもしれない。世界人口77億で、年7億増加ペースはおおよそ10%増ということ。1%など大したことはない、となりそうなところだが、人間の生命を尊厳する近代精神は一人の死をも容認できない。巨大現代都市は増えるからウィルスの犠牲者も増えるだろうし、集積度によっては指数関数化するかもしれない。グローバル都市社会システムそのものに伴う宿命なのか。

 ホモ・サピエンスはここでもう一段階、進化のステップを辿って、ウィルス克服した都市を創造できるだろうか。それはに呼気管理が不可欠。かつて留学中にからかわれたことがある。日本人はどうしてみんなマスクをするのかと。顔はファサード。人格表現の媒体。その下半分を隠すのは非文明的。シャイな文化と一緒だ。ところが今、世界中で、しかも先端都市でみんながマスクをしている風景が生まれた。日本人は正しかったと世界が認めるか?皮肉ってる余裕はない。フェースランゲージを維持しつつマスクする方法を考案することを考えよう。

 高層集合住宅が林立する現代都市。そもそも高密化するのがメリットだった。3蜜=密室・密集・密接とはよく言ったもので、これは都市文明の原理原則のようなもの。都市文明を止めろ、ということ。地方分散が唱えられても東京一極集中は加速した。おろかな日本人、と言ってみても始まらない。進化しようとしないからなのだ。みんなが自室に籠もって、集合住宅は満杯にし、道路上は閑散。それなら道路なき高密都市を構想しよう。道路は交通手段の物理空間。交通はコミュニケーションということだから、通信ネットワークで代替。まるでオタク文化、いやヒキコモリズムではないか。差別的な言葉が逆転することがある。かつてゴシックは差別的表現だった。

 しかし人間の健康にはオキシトシンが必要。ハグが。ヒキコモリズムとハグ文化をどう融合するか。

 ああ。頭が混乱してきたので、このへんで序説を一段落して、お茶を。