ポスト・コロナの建築様式

 30年も前から唱え始めた120年周期説、さらに一歩前進できる。今を知るには120年前、つまり1900年前後が参照されるべきだ。その頃、アール・ヌーヴォーから新古典主義への転換がある。P.ベーレンスがそれをなしたのだが、それは歴史が生理現象のように、複雑性の極から単純さの極へとカタストロフィを起こすことだった。その転換点はなぜ、どのように起こるのか、理由やメカニズムがわからず、現代論にどう反映させてよいものか戸惑っていた。Covid-19の蔓延がもたらす社会的波紋が教えてくれるものがある。

 「不要不急」は止めるか延期するかだ。社会は「エッセンシャル・ワーク」だけを残して他を停止しよう。道路や広場は無人とし、店はシャッターを閉じて、都市封鎖状態としよう。

 「不要不急」の建築様式、つまりは装飾過多の設計手法を省こう。アール・ヌーヴォーの華麗さは無用。ネオ・バロックの目を刺激する様式も無用。ウィーンの王宮前ミヒャエル広場の華麗なファサード景観にアドルフ・ロースは無装飾建築で応じた、その精神。「エッセンシャル」な部分に限定すると、建築の骨格が露出する。19世紀を席巻したオーナメント装飾の文化、つまり定形の歴史様式装飾のメニューを揃えてステータスの差別化を図るという建築様式は、ノン・エッセンシャル。

 「必要性」の建築論はG.ゼンパーからO.ワグナーに継承され、セセッションの改革となった。「不要不急」排除とは「必要性」限定の論に通じる。かの時代の建築家たちが抱いた改革意思は、今日的に言えば、「表層論」の問題。1980年代頃からのネオ・バロックからネオ・ロココへのスタイルの変遷は、究極の表層建築へと深化した。花開いた後は散るしかない。散った後には太い幹が残る。20世紀初期の新古典主義が、この21世紀にはどう出るか。120年を隔てて。

 P.ベーレンスが華麗なアール・ヌーヴォーを捨てて重厚、厳格な新古典主義に転じたのは心理現象、つまりは脳と身体の生理現象だった。今、コロナが強制的にそれをなそうとしている。かの時代においてコロナに相当する何かがあったのかどうかは知らない。コロナは偶然なのか、悪魔の使いなのかはわからないが、いずれにせよ、建築様式は新古典主義的なものに移行せざるを得ない。「不要不急」を取り払った建築様式へ。

 

 Covid-19蔓延は2019年12月から、まだ4ヶ月であり、特効薬とワクチンが早めに開発されて1年ほどで終息するかもしれないので大げさに歴史を語るのは早計と指弾されるかもしれない。しかし建築様式は確実に、法則に則って変化している。そこに何かの触媒が変化を促すことがあると考えれば、Covid-19はたまたまそれになるのだろう。別の時期であれば別の変化の触媒になったかもしれない。

 この建築様式の変化は相当に大規模な歴史現象になるだろう。20世紀の後半に進行していたことが、ここで終焉し、新しい時代への脱出が起こるからである。ポスト・モダンの始まりはよかったろうが、資本主義のもとで軽薄化し、都市を飾りはしたがフェイクまがいの建築様式に転落、いや見た目には豊穣化した。グローバル都市のファサードを飾る華麗な装飾的建築群は人々を惹きつけ、街に溢れさせた。Covid-19はそこに自らの繁殖場所を見出した。一転して都市空間から人がいなくなった。華麗なファサード、表層デザインの意味がなくなった。人々は室内にこもり、「安全」な居住空間を確保するためにウィルスの侵入できない明確な「壁」を求める。「安全」を確認できるように、「壁」はシンプルでなければならない。「必要性」以外を排除すると「単純」になる。新古典主義の基本原理である。

 18世紀新古典主義ギリシャ神殿を理想モデルとした。20世紀初期の新古典主義もやはり同じで、ロースのドリス式円柱嗜好はよく知られている。とりあえず今もそれが早道を教えてくれそうだが、さてどうなるか。明確な壁、整然とした列柱。そう言えば伊東豊雄はオリンピック・スタジアム案で列柱を提示していたが。枝葉ではない、幹だとすれば、隈研吾案はもう時代遅れになってしまったか。触媒Covid-19の影響は劇的だ。