ルネサンスのクオリア論

 比例論はウィトルウィウスに遡るわけだが、ルネサンスにはとりわけ比例感覚が重要となった。とりわけファサードの分節は比例美のもとでなされていた。さてその感覚はどこに基盤を持っていたのか。

 比例美の感覚は芸術家・建築家の脳に宿った。より正確に言えば、脳と外界の間にヴァーチャルに成立したとすべき。比例美は遺伝子に発していたのかも知れないが、具体的なファサードの比例美がそのまま遺伝子にあるのではないだろう。ファサードに比例を施すことは、人間と外界の間に一局面に過ぎないはず。

 例えばアルベルティによるルチェッライ邸。脳内のどこかにある比例美に反応するニューロン群。さまざまのファサード分節の比例が可能な中で、選ばれたものが、このファサードに適用された。アルベルティの脳内で、ひとつのクオリアが励起された。

 芸術家個人のクオリアが現実に建築物に表れてよいのは、ルネサンスだからだろう。中世では宗教のもとに個人が自由に表現をできなかったろう。宗教観というのも別のクオリアだったろうが、それは統率され、時には異端宣告されて争いもあった。ルネサンスのこの比例美クオリアは中世の宗教観とバッティングしない。掠めていったと言うべきか。しかしそれはとてつもなく大きな出来事。時代のパラダイムが転換。集団心理としての宗教は二の次となり、個人の芸術能力の方が優先した。

 それこそがルネサンスを特徴づけるものとなった。人間中心とはそういうことか。芸術家個人のクオリアが他の人間たちに受け入れられ、社会化された。ローマ教皇フィレンツェの芸術家たちを招いたのは、中世宗教の敗北宣言でもあったか。

 ミケランジェロラファエロらがこぞって招かれた時に、レオナルド・ダビンチだけが招かれなかった。なぜか。天才的ということは知れ渡っていたはず。キリスト教ではタブーとされたホモセクシャルだったことが教皇をためらわせたのか。クオリアの優位もなお限界があったか。しかしミケランジェロにもその性向はあったはずだが。

 ダビンチの形態美のクオリアはやがて正方形と円形という純粋主義へ。集柱式建築をブラマンテとともに崇高なイデアに徹底された。ルネサンスのアイコンへ。サンピエトロ教会堂を通して王座に。ミケランジェロに継承される。クオリアの自律へ。芸術家の才能(ジーニアス)が勝利。

 その芸術性のクオリアは後期ルネサンスバロックロココへと推移。人間中心主義の時代。

 絶対主義君主が横取り。権力構造に加担する。その上でギロチンへ。近代はクオリア論的な個人主義を排し、普遍的な個人主義へ。理性の作用。やはり近世とは天才的クオリアの時代だったことになるか。