認知建築史学は可能か

 コリン・レンフルー『先史時代と心の進化』に、「認知考古学」という言葉を見つけた。ホモ・サピエンスが獲得した認知力を軸にして考古学を説き直そうとするものである。ちょうど、建築史を脳の発達とそれに伴う文化的な進化という発想で構築し直せないものかと思案していたので、刺激を受け、「認知建築史学」などといった言葉が浮かんだ。

 ネアンデルタール人からホモ・サピエンスの時代に移行して、最も変化したものは、集団形成力だったという。狩猟採集生活をしていたネアンデルタール人には血族を中心にした数十人の小集団までが限界だったが、ホモ・サピエンスは農耕生活を始め、その際に数百人の集団をなし、集落を形成して定住することになる。そこでは、植物を栽培し、一年間管理するといった相当程度の計画を立案し、それを多数が共有する能力が必要だった。

 ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへは、脳の一段階の進化があったとされる。しかしホモ・サピエンスは進化した脳を十分に活用するのにかなりの時間を要したようだ。この、いわゆる農業革命はようやく約一万二千年前になって実現したのだと言う。使いもしないのに、脳は進化を果たしていたというのなら、なぜ進化が起こらなければならなかったのか、不思議だ。ともあれ、農業革命とともに文明が進展し、その後、何種類もの革命が続き、現代文明まで至る過程はそれまでの数十万年の人類史に比べれば急激な発展となった。

 生物学的な脳の進化と、その使い方に依存する認知能力の進化は別物だという。後者は人工的な文化だからである。ホモ・サピエンスは農業革命の後、国家、宗教、科学といったものを次々に生み出してきた。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』も農業革命を始めに取り上げていたが、なるほど脳の進化がすべての始まりだったのだろうか。

 心理学者マーリン・ドナルド著『Origines of the Modern Mind』(和訳はないようだ)は、認知能力の段階的な発達を唱え、①「出来事的」段階、②「模倣的」段階、③「神話的」段階、そして(遅れて唱えたようだが)④「物質的象徴」段階、⑤「理論的」段階、という5段階が提示したという。前者2つが生物的進化にかかる「種形成段階」、それに続くものは文化的進化の「構築段階」とされた。農業革命は④「物質的象徴」段階なのだという。私が興味をもつのもこのあたりである。

 神的なものを覚えたホモ・サピエンスは、それを目に見える何かを物質的象徴として表現しようとし、それは目に見えない脳内活動の言語体系へと進めた。

 集団化することで大規模な企画が可能になり、農業が可能になる。より大規模な集団が定住生活をなすことで、次第により高度の社会管理能力が必要となる。神を想定し、何かで象徴表現する。神々の幻想は神話を伴って保証されるが、そこに言語能力の獲得が裏打ちする。

 農業革命はナトゥーフ文化に始まるという。いわゆるレバント地域、つまりイスラエル、ヨルダン、レバノン、そしてシリア内陸を通ってトルコ国境あたりまで伸びる南北に長い地域である。野生の麦などを採集する生活が、干魃にあって人工栽培へと転換を余儀なくされたのが始まりだった。約一万二千年前のことだったという。

 やや遡る一万三千年前、いまだ狩猟採集生活の段階の時に、これよりやや北のトルコで発見されたギョベクリテペの祭祀施設が誕生したという。円環をなすの石積みに謎のT字形の石板が林立する構造物は、定住しない狩猟採集生活者の小集団の群れが集まって、何かの儀式を行ったのだろうとされている。ホモ・サピエンス史上はじめての本格的な構築物であり、ストーンヘンジなどよりずっと古い。もっとも屋根が架かっていても良さそうな円環状の石壁なのだが、屋根なしだったようであり、建築物とは言えないようだ。まだ情報が少ない謎の遺構だが、例えば柱の系譜を考える際に注目できそうで、ホモ・サピエンス建築史の冒頭に据えてもよいのかも知れない。

 定住農耕生活が始まる前に、すでに狩猟採集者の定住は始まっていたようで、ウクライナでマンモスの骨でつくったドーム型の住居が見つかっている。これはなかなかよく考えて作ってあり、これ以前に他の素朴な材料で簡単なテント状の住居の時代があったのだろう。マンモスの骨の住居はオーラがあって、あるいは祭祀施設ではなかったのか。狩猟採集社会は平等主義の相互扶助社会だったようで、まだ階層化が起こっていなかったから、首長の住居というわけではなかったのだろうが。

 

 定住社会、とりわけ定住農耕社会では所有感覚が生まれ、ヒエラルキーが発生したという。本格的な集落はイェリコで見つかっている。ただ、崩れやすい日干し煉瓦を何度も建て替えてきたので、今、目に見えるものはテルと呼ばれる小山でしかない。そこでの社会構造はどれくらいに解明されているのだろうか。平等主義の相互扶助社会での脳の使い方に興味があるが、階層社会への転換がもたらした認知構造も気になる。それらはどのように建築物なり集落の空間構造に反映していたのだろうか。

 やがて、ピラミッド形の社会はそれを引っ張る頂点に人物を必要とし、強力な首長から王を誕生させる。幻である神と王が繋がることで社会は安定した構造を得る。古代エジプト社会はそのようにして王=神としてのファラオを誕生させた。マスタバ(墳墓)、階段状ピラミッド、正四角錐ピラミッドと、祭祀用の物質的象徴は大規模に、そして芸術化していった。他方で神殿という、壁と柱のシステムである建築物を誕生させた。その前に、ナトゥーフ文化は「肥沃な三日月地帯」をたどってメソポタミアに一大文明を築き、集落は都市へと発展していた。都市革命とも言うようだが、それもひとつの認知革命だったろう。つまり脳の使い方が一段レベルアップしていたはずだ。もっともこれは国家共同体の誕生に伴うものなので、国家革命と言うべきなのかも知れない。

 アテネなどの都市国家群は統一的な国家であるペルシャ国に抵抗して勝利した。この民主主義が全体主義的な国家に勝る進化を遂げた時を都市革命と言うべきなのかも知れない。なぜなら現代のグローバル民主主義は都市連合ネットワークへ向かっており、全体主義的な国家群への退化を克服しようとしており、国家よりも国境線を超えた都市群のあり方が、ある理想モデルとなっていたりするからである。

 ともあれ、建築の進化、都市の進化を認知建築史学として説けるように、これから個別テーマを探しつつ、努力してみようか。