⑮ボトムアップ型の仕掛け

 佐々木禎子さんをモデルとした原爆の子の像はドームを縦に引き延ばしたような土台の上に立ち、大きな折り鶴を高く掲げている。この像はボランディア的な募金運動に始まるものであり、平和記念公園の北の方、公園軸からは少し逸れて置かれている。記念像のことは広く知られ、全国の学校から、また国内外から持ち寄られ、送られてきたたくさんの折り鶴が捧げられている。

 今は記念像のまわりを円形に囲って折り鶴束を吊るす収納箱が設置されているが、かつては遠くからわざわざ持ち寄られた折り鶴の束は、その土台の足下に献花するかのようにていねいに置かれていたものの、しばらくたつと雨で濡れ、風に乱されたりし、市の職員が集めて別の場所に保管していた。時には放火される事件もあった。

 像が公園の樹林を背景に立つ様は静謐な光景となっていたが、やむを得ず設けられる収納箱の設置はその光景を変えるため、デザインには慎重を期さなければならなかった。像の土台はモダニズムの建築家池辺陽が戦後の1950年代にデザインしたものであり、緊張感のある曲面による抽象造形により、三本足のドーム状をなしている。半世紀後に補われた収納箱は、記念像を中心にして描いた円形の一部としてあり、そのモダニズム・デザインに呼応するようなミニマル・デザインである。それは像のイメージをできるだけ崩さないよう、控えめで目立たない幾何学造形となっている。

 透明なガラス箱状の収納箱は、持ち寄られた色とりどりの折り鶴束で、極彩色の飾りのようになっていて、無彩色に近い記念像と緑の背景による静謐感が失われ、かつての光景を知る人には違和感を催すようである。収納箱を打ち放しコンクリートで囲って無彩色とする案も検討されていたが、最終的には透明な箱となった。

 記念碑というものは孤高に立つのが貴いが、他方で全国からそれぞれの手で折り鶴を折って持ち寄られるという、たくさんの人々の意思の集積もまた貴い。そこにはボトムアップ型のデザインと言うべきものが社会現象として表れている。芸術家による崇高なデザインは価値あるものであるが、他方で多くの人々の意思を生で表現することもまた、一種の民主主義時代の集団芸術と言えよう。とりわけ世界平和のためにある記念碑であれば、孤高のデザインに民衆の集団芸術が連携することに大きな意義がある。

 被爆後80年近くになって、直接の被爆体験者の人数は次第に減り、いかに被爆の悲劇、反核兵器の意思を継承していくかが問われている。理想的には世界の70億余の人々すべてがそれを継承し、平和への意思を共有することであり、そのためには人々の心の中にヒロシマへ向かうベクトルが宿ることであろう。持ち寄られる個々の折り鶴はその象徴であり、原爆の子の像とその足下の色とりどりの折り鶴束がなす光景が、インターネットを通して世界中から見られることに意味がある。

 世界平和は政治家たちによるトップダウン型の施策だけで実現できるものではなく、世界の人々のボトムアップ型の意思表示を必要としている。グローバル化を果たした世界では、グローバルな民主主義を促す手段が求められる。独裁者が国民の意思を否応なく黙殺する専制国家がなお多くあるのが世界の現実であるが、20世紀以来の流れは国の枠も超えて世界の人々が善意の意思を持ち、交歓する方向に向いている。都市広島、そして平和記念公園の存在は直接、世界の人々、ひとりひとりの心と繋げ、世界をひとつにする貴重な媒体となりえる。

 平和記念公園を設計した丹下健三は、世界の歴史的な都市広場に学びつつ、公園の広場を「平和の工場」としたいと語っていた。公園の現状は慰霊の性格の強い静謐な空間となっているが、彼は人々が交流し合う、より活発な広場空間を思い描いていただろう。そこにもインターネットを用いたボトムアップ型の意思表示がなされる何らかの仕掛けが加えられてよいのかもしれない。