④ポジティブなグラウンドゼロ

 ルネサンスのイタリアを代表として、理想都市像が描かれ、実際に築かれてきた。20世紀には未来都市を描くことが多くあり、とりわけ科学技術の革新をともなって、時代を動かしてきた。しかし今日、地球環境の病は産業革命以来の科学技術のせいとされてきて、未来都市像を描きにくくなってきている。描かれるとしても、そこには必ず緑で覆われた都市像が表され、太古の原生林が模範となったかのようである。つまり、先端技術の築く人工的な構築物に、太古の生命感が重ねられ、屈折している。

 グレタ・トゥーンベリは人新世のこの世界の政治や産業を激しく怒り、罵る。その言葉は正しいと思いつつ、なかなかついて行けないほどに、どっぷりと既存路線に埋没している自分に気づく。「飛び恥」を回避するために大西洋を小型のヨットで横断するのを見て喝采を送りながら、同じことはできるものではない。しかし地球環境は着実に崩壊に向かって歩んでおり、それは我々自身のせいである。

 広島、長崎を一瞬にして死の廃墟にしたのは、当時は人々の知らない最先端の科学技術だった。原子爆弾は20世紀の兵器として超大国の必需品になってしまい、また拡散し、人類が自ら滅びる危険を伴いつつ綱渡りの日々である。心ある人間のコントロールを超え出てしまえば、科学技術は悪魔になる。かつての未来都市ブームは平和な未来社会を描いたが、それを実現する技術と産業もまた、グレタ・トゥーンベリにならえば人類の自滅に向かう悪夢だったことになる。

 彼女の生命尊厳という原理主義は、広く解釈すれば、核兵器廃絶を唱える広島、長崎の精神に共通するところがある。非日常の軍事技術と日常の産業技術という差はあるものの、いずれも人類を滅亡させる科学技術という意味で共通する。そうすればこれから未来都市像をどのように描けばよいのか。

 被爆都市はこれまで70余年にわたって、悲劇のモデル都市として、核兵器が跋扈する世界に警告を発してきた。その意味はまだ当分続きそうだが、それだけでなく、新しい生命倫理を担い、情報発信する都市として、理想の都市像を提示することになるかとも思われる。そこに人類進化の方向と目標として、全くあたらしいものが求められている。広島の平和記念公園を設計した丹下健三は、そこを平和を作り出す工場として提案していた。そこは過去に向かって慰霊するだけでなく、ポジティブに平和文化が創造され、湧きだし、世界に振りまかれる場所となるべきと考えたのだった。そしてこの数十年の間に培った都市文化は、まだひ弱かもしれないが新しい生命倫理を伴うものに育ってきているように思いたい。

 二つの被爆都市は世界の類のない生命倫理を内蔵した都市と見るべきであり、他の都市がモデルと仰ぐべきところである。これまでネガティブに見てきた眼差しだけでなく、ポジティブな眼差しも併せ持つべきであろう。そこには産業革命以来の科学技術による人類発展という姿勢に対する反省があってしかるべきであり、それは国や民族を超えた、もうひとつの現代グローバル社会の普遍的な価値観を提示するだろう。暴走する科学技術に対するシビリアンコントロールの原則の原点がそこ立つことで再確認できる、そのような意味でのグラウンドゼロはそこにしかない。