⑩グローバリゼーションのもとでの被爆都市の意味

 広島、長崎の原爆被災はアメリカ合衆国によるものだから、日本人はいっしょに反アメリカを加わるはずだ、などとメディアに発言している勢力が世界のどこかにいるらしい。これは次元の問題であって、私たちはもう一段高い次元から下の次元を見下ろしてどう説得したものかとため息をつかされる。

 私たちの視野は国境を超えた、またブロックをも超えた、ひとつの地球共同体にある。原爆は20世紀の先端科学がもたらした成果を悪魔的兵器に変えたものである。先端科学は人類の達成した文明の産物であり、それ自身は誇るべきものであるが、なくてもよい悪魔的兵器は、他方の人類進化の成果である人間的尊厳や理性社会の価値観を踏みにじった。70億余の個々人すべてがその価値観を共有する社会を目指さなければならない。

 グローブとは地球であり、グローバリゼーションとは文字通りに訳せば地球化となる。20世紀後期から、国境を超えるグローバル経済が急速に進展し、グローバリゼーションとはそのような経済体制を指すものとされてきたが、それでは視野が狭い。一方ではインターネットが世界をひとつのウェブとして編み上げ、他方で地球温暖化のような地球規模の課題が人類を一体化させてきた。いずれも地球化という言葉で覆うことができる。国ごとに別々に政策をとっていたのでは地球規模の課題に解決策はない。

 ソ連崩壊によって地球共同体の一体化が進むかと思いきや、難航している。文明圏のブロック化が進み、境界線で衝突するようになるというシナリオを唱えた人物がいて、怪訝に思っていたが、現実にはそのようになってしまっている。なかなか次の進化に進めない。ホモ・サピエンスは太古に狩猟社会の小集団から、農耕社会の大集団へと移り、古代には都市や国家をつくるに至り、中世、近世、近代と、次第により巧妙な社会組織化を覚えてきただ、それは単純に言えばより大きな集団へというプロセスだった。最終的にはホモ・サピエンスは地球共同体というひとつの巨大な社会へ至ることになるはずであり、そのような社会をまとめる社会システムを考案することになる。グローバリゼーションがそのプロセスの最終段階と想定される。その完成後には、ホモ・サピエンス以外の生命体との共生という課題が待っているだろう。

 ルネサンス期以来の人間的尊厳、フランス革命アメリカ合衆国独立以来の民主主義的な理性社会という価値観は、それがグローバルに実現することで到達点を迎えるとして、そこに、少なくとも地球上では核兵器など必要なくなるはずである。被爆都市の役割はそこに向かって進化の方向付けを支援することである。広島、長崎はもはや日本の一都市という立場にはなく、世界の聖地都市として、地球共同体を相手にする。国境線で、あるいは文明圏ブロック間で争いが起こり、核兵器がチラついた時には被爆都市がイエローカードなりレッドカードなりを掲げることになる。広島、長崎の知名度はすでに十分にグローバル化しており、その効力は今は十分ではないかもしれないが、一定程度はあろうし、より高いものにしていかなければならない。

 核兵器に限らず、先端科学が生み出すさまざまの知恵や技術はつねに悪魔的兵器に転じる可能性がある。ホモ・サピエンス以外の動物、植物などの生命体との共生は、生命体とその生態系全体の尊厳という価値観による文明づくりへと進むことになるが、そこにつねに技術革新が起こり、新しい先端科学が生み出されることになり、広島、長崎という先端科学悪用という失敗例は、永くホモ・サピエンスへの警鐘となりつづけるだろう。その光景は殉教者への巡礼を通して人々の倫理意識を結束させて争いのない共同体を形成してきた中世型宗教の構造を連想させる。人間の脳神経網にはそのような歴史的な共同体形成の能力の記憶が、文化的遺伝子となって内在している。