②広島の現代建築文化

 グランドプリンスホテル広島の設計者池原義郎氏はプリンスホテルが東京で選んだ建築家であり、広島とは縁があったわけではなかったろう。しかしそのデザインは、建築業界で広島派と呼ばれる広島在住の建築家たちのデザイン感覚に近似している。その代表格は村上徹氏で、「比治山本町のアトリエ」などの一連の住宅建築、また「岡山ノートルダム清心女子大学中央棟」や「なぎさ公園小学校」などの、打ち放しコンクリートの清楚で幾何学的なデザインで知られる。広島派と呼ばれる建築家たちは同様に清楚でやや禁欲的なデザインで知られ、平和都市広島の倫理的な感覚が底流にあるのかと思わせる。(被爆70年史編修研究会編『広島市被爆70年史 あの日まで そして、あの日から 1945年8月6日』広島市発行、2018年に詳しく紹介(広島市公文書館HPに情報あり))

 広島市はかつて、「2045ピース・アンド・クリエイト」と題する建築企画を数年にわたって実施し、被爆百周年となる2045年には平和文化の成果を都市景観に反映させようとした。それによって数棟の市立の建築物を、それにふさわしい建築家を委員会で選ばせて委託した。そのうちの一つは広島市中区のごみ処理場「中工場」だったが、選ばれた谷口吉生氏の設計した画期的な建築は、奇しくもアカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」でロケ地のひとつに使われた。エコロジーという倫理的な課題を現代的な建築デザインに昇華させたこのごみ処理場の斬新さは、あるいは平和都市広島の倫理感覚に相通じるものだったかもしれない。(なお私自身も当時の選考委員のひとりであり、期待以上のデザインとなったこと、また広島市の一つの歴史エピソードにつなげられたことを嬉しく思っている。)

 「中工場」もまたミニマリズムのデザインと言うべき、単純で巨大な直方体のかたまりであり、海辺に無装飾の大きな壁面が立ちはだかる。谷口吉生氏の独自の発想で、爆心地の都心部から一直線に走る吉島通りが巨大な直方体を直角に貫通するようにし、トンネルが海辺へと続き、そのトンネル内壁をガラス張りとし、林立するごみ処理機械をまるでデザインされたオブジェのように眺めながら海辺の公園へと至るようにしてある。

 谷口氏はニューヨーク近代美術館の増築コンペで、並み居る世界的建築家たちを尻目に勝利しており、ちょうど同時期にこのごみ処理場を設計した。ハイアートの頂点とネガティブなイメージの付きまとってきたごみ処理場、いわば建築類型として最上端と最下端を同時に手がけた造形家としての境地には瞠目させられる。優れた芸術作品という以上に、人新世の時代において求められる新しい価値観が開かれたように感じられるからである。それは広島という地で起こったわけだが、必ずしも直接的な因果性はないものの、その背景に被爆都市における錯綜した多様な文化がぶつかり合い、混ざり合うところにきらめく真珠が育ったような思いがする。

 被爆都市、平和祈念都市という大きな題目の下層で、さまざまの細々した事柄が処理され、決定されてきており、その有機的な集積が今、広島の都市空間に漂っていると考えたい。それは時間の経過とともに未来の広島の生きた都市像を形づくる。