⑤オーガニックな都市風景

 G7サミットの開催される元宇品は、通勤客も足繁くうごめく広島市の海の玄関宇品港に接するとはいえ、かつての島の原生林の面影がいまだに残されている。それは必ずしも目立った形を持たず、潮に洗われて残っただけの、広葉照葉樹林で覆われた、あまり印象に残らないもっこりとした島型であるが、そのひ弱さがかえって愛着を覚えさせる。沖に見える似島は安芸富士とも呼ばれて、尖った富士山型をなして海のランドマークになっているのとは大違いである。

 都市広島は桃山時代に広大な太田川デルタに築かれた極めて人工的な格子状の都市に始まり、埋め立てでやはり人工的な格子状街区を広げてきた。そんな平坦な市街地に、比治山、黄金山といったそもそも島だったところが含まれ、人工的な市街化を邪魔するようにして変化のある都市風景を形づくらせており、宇品島はかろうじて海中に残って海辺の有機的な自然を残している。デルタの市街地は北側が緑で覆われた山並みで囲われ、南側の海辺は島嶼風景で囲われて、自然風景に包まれている。魚や貝、海藻の息づく海辺、山や島を飛び交う小鳥は空にさえずり、百万都市は生命感に溢れている。山並みから昇り、空に夕焼けを描いて島影に沈む太陽、時に台風に荒れる海辺は、地球環境の生命感ある営みを展覧している。広島の都市景観はまずは恵まれた自然景観に負っている。

 先に挙げた西の茶碓山からの鳥瞰図は、市街地が山並み、海、島嶼群で囲まれた、明治が始まる頃の広島市街を描き、まさに庭園都市と呼ぶべき光景を提示していた。被爆を経、さらに拡張され、高度化したとはいえ、その庭園都市の性格は持続している。ここで庭園風であるということは、水や緑など、さまざまの生命体を育む自然景観が目を楽しませる風景を形づくっているということである。ここで庭園都市と言う際、それはフランス式のような幾何学的な庭園ではなく、有機的な自然の造形を受けとめた、カオス的ではあるが一定の生態的な秩序を伴う都市風景に着目してのことである。

 自然に寄生するようにして築かれた都市は、穏やかなよい印象を与えるが、時に自然は牙をむき、豪雨や台風がやわらかい真砂土の山を崩し、大きな災害をもたらす。自然との共生は生やさしいものではなく、自然の生態に細かく読み取り、注意深くあるべき生活習慣を必要とさせる。日本的と呼ばれる自然観はそのような細かな目配りと用心深いライフスタイルの上に成り立っている。自然は恵むばかりでなく、身勝手な存在であるが、身勝手と思うこと自体、人間の奢りの裏返しである。

 生命感のある広島のオーガニックな都市風景は、エコロジーの時代にあってのひとつのまちづくりの姿勢を示唆する。近代都市広島にはもちろん産業革命以来の科学技術が影を落とし、高層建築物、橋梁、あふれる自動車や広告塔のネオンなどが視界を埋め、携帯電話を含む各種の伝播が空間を飛び交っている。周辺の山並みの斜面を住宅団地が浸食し、自然との関係に構造的な変化も次第に加わってきたが、それぞれの段階でオーガニックな共生関係が試みられてきている。自然支配の欲望に突き動かされるのがつねの人間ではあるが、同時に自然の生命感に対する畏怖の念は忘れてはならないものであってきた。