⑥無機的と有機的

 20世紀のモダニズムにおいても緑地、都市の緑化は大きなテーマとして提唱された。今日のグリーン戦略はそれとは随分と質が違う。ポスト・モダニズム以後、もはやモダニズムの機能主義的な「緑」の戦略は批判される対象ともなった。機能的にゾーンを区切って緑の公園を配置するというだけでは、地球環境時代には不足である。

 オーガニックな都市が理想とされる今日、それは見えないところでも、つまり人の思考基盤においてもオーガニックであるということである。人の脳はトップダウン型の思考とボトムアップ型の思考がせめぎ合い、また融合し合う、ハイブリッドになっているが、モダニズムトップダウン型に対しては批判がなされてきた。ではボトムアップ型の思考とはどういうものか。

 脳は神経細胞の集合体であるが、進化の過程で細胞数は次第に増えてきて、複雑な思考をできるようになってきた。その際には個々の細胞がぶつかり合い、また利害調整をしつつアルゴリズムを進化させてきただろう。アルゴリズムができるとそれをもとにトップダウン型の意思決定ができるようになるが、一種の弁証法の積み重ねで、アルゴリズムは進化する。いわば細胞群がボトムアップ型の民主主義を実施してきたことになる。

 都市は多数の家の集合体であるが、そこに同様のボトムアップ型の動的で生命体論的なシステムが見出されると考えたい。計画都市は整然とした街路網を持っていて明快な形をなすが、自然発生的な成長過程を辿った都市は複雑でアメーバ型の輪郭になる。個々の家が増えていく際には既存の都市に寄り添い、既存のミクロ的な街路やインフラに寄生するようにして張り付く。時間とともに迷路型の街路網が育ってきて、都市の輪郭はアモルフ、つまり非幾何学的であいまいな、アメーバ状になる。

 未来都市構想は建築家や都市計画家といった専門知識人が描いた、いわば時間を止めた、人工的、無機的な理想像である。それが目を見張らせる美しいものであるほど、その実現はトップダウン型になり、ボトムアップ型の手続きを無視して硬直化する危険がある。20世紀のモダニズムの失敗が唱えられる際にはそのような硬直化がやり玉に挙がる。もっとも未来都市構想とはそのようなものだとわからずに、それにただ追随し、神話化させた視野の狭い連中の方にも問題があった。文化的進化はトップダウン型とボトムアップ型の弁証法が綴る縄のようなものである。

 前置きが長くなってしまったが、都市広島は桃山時代、茫漠とした太田川デルタに突如として描かれた格子状の都市計画に始まった。城について、それも天守閣については大衆的な人気があってよく知られるが、重要なのは城下町と称される計画都市の方である。安土桃山時代、江戸時代の最初期の数十年、城下町が日本列島に一気に繁茂するが、人新世を語るときにこのことを改めて注目しなければならない。この時に、戦国時代にボトムアップ型で育ってきた新しい都市システムが熟成し、トップダウン型の理想形態を獲得した。

 その後、江戸時代を通じて次第に都市の拡大が起こるが、城下町の南、広島湾に広がる浅瀬に次第に埋め立てが進行し、いくつかの新開が開拓された。きりしたん新開、国泰寺新開などでは曖昧でアモルフな道筋となり、その後、市街化が進むと今日の竹屋町、千田町のように都心部とは異なるやや場当たり的な街路網となった。その後、藩はその無計画さを反省したのか、さらに南への広大な開拓地は改めて格子状の道路網を敷くようになった。

 皆実町はそのような格子状新開地だったが、さらに明治初期に宇品島とつなぐために宇品新開が整然とした街路網を伴って開拓された。だから原生林に覆われた今日の元宇品の自然な量塊の目前には宇品地区の整然とした格子状街区があって、好対照をなしている。そして島の海岸線に沿ってできていた旧道沿いには江戸時代から続く中継港と集落の有機的な街路と町並みの名残があるが、その海辺に近代になって埋立が進み、大きな造船所が築かれた。その整然とした近代的な街区の最南端にあった工場跡地にグランドプリンスホテル広島が建って、その幾何学的ヴォリュームが有機的な島風景とコントラストをなすに至った。そこに無機的と有機的のせめぎ合いを改めて確認できる。