アーキテクチャーとは神の似姿を形にすることか

 脳と建築の関係を思索し続けているが、なかなか答えが出ない。今はホモ・サピエンスの始まりからの、人間の認知的な進化過程を参考にしようとしてきている。

 5万年前に黒人としてアフリカからアラビア半島に旅立った150人の人間が人間史に画期をもたらした。彼らはユーラシア大陸のどこかで、突然変異によって皮膚の色素が多様に変化し、多様化した。最初にインドから東南アジアへ、そしてオーストラリアへと歩んで、あるいは海を渡っていった黒褐色肌の人々。途中でモンゴルへ向かって行きつつ色を薄め、東アジアに分散し、また陸続きだったベーリング海峡を辿ってアメリカを北から南へ歩を進めた黄色人種。色素を失ってコーカサスから東欧、さらに西欧へと流れていった白人。もっとも三つの大きな流れに整理できるものの、この5万年間に相互に複雑な交雑があったのでそう簡単な話ではない。

 ともあれ、1万年前までは狩猟採集生活に頼っていたために移動を繰り返し、とりわけマンモスを追ったベーリング海峡越えはいわば長征だったか。そして1万年前に始まる農耕定住生活は大きな集団生活を始め、社会生活の進化とともに、言葉を発達させて各種のアルファベットを産み落としてきた。ここで関心を持ちたいのは建築の始まり。建築もまた言葉のようなものであり、人間の生活、社会的な生活に、自然に散らばる様々の物質を借用して形を与えることだった。

 洞窟での穴居生活の時代には住まいは借り物の自然空間で済んだが、肉食のための動物を追って草原や荒野に出たときにはテント型の住居を造らざるを得なかったろう。木を組んで草を載せるだけのものは遺構も残らないが、マンモスの骨をドーム状に組んだものは考古学者が見つけている。原始的な建築は素朴な実用性しか考えず、機能主義の工作方法のように見えるが、あるいはそのような建築にもすでに象徴表現の意思が働いていたのかも知れない。そのドーム形は以外に明快で芸術的である。中に居続ければドームは天空の象徴形態のようにも想像される。すでにアーキテクチャーが始まっていたか。ここで言うアーキテクチャーは、単なる建築物のことではなく、archi-tectura、つまり高等な技術、道具的理性以上に感性と悟性が一体となった象徴的工作物の創造技術のことである。

 農耕が始まる直前の定住生活がギョベクリ・テペの祭祀施設を生んだ。T字形の壁柱はまだ梁を載せるための柱ではなく、具象彫刻を貼り付け、また人体に擬した象徴芸術だったようだ。ストーンヘンジでは整形された石柱に石の梁が載せられ、円環をなして連続したり、門型のトリリトンをなした。そのルーツは柱梁の木造建築物だったろうとされている。木から石へという転換は象徴表現の意思を表れであり、アーキテクチャーである。それは天体観測施設でもあったという説が出されており、アイルランドの巨石文化では墓室まで冬至の朝の光が水平に差し込むように廊下が形作られていた。天体の現象は神の領域のものと思われていたはずであり、それは神の姿の建築化だったと言えるだろう。

 こういった先史時代の話は考古学者たちが面白く筋立てして著作が見られる。ところがそれ以後になると議論が消えるのはなぜなのだろうか。メソポタミア文明エジプト文明などの様々の建築物は神との関わりではなく、人工工作物として解釈される傾向にあり、神の領域と人間の領域が別個に議論されるようになる。ピラミッドの象徴的な解釈はヘーゲルの美学などでは論じられていたはずだが、今日ではもう分かりきった話としてそれ以上に突っ込んだ議論にならないのか。観念論の古い哲学はお蔵入りになってしまったのか、その延長上での議論がない。ニーチェが神は死んだと言い、マルクス唯物論を打ち立て、科学主義が隅々まで行き渡ってから、神を語るのは特殊な宗教集団の内だけに閉じ込められてしまったかのようだ。

 科学と神秘主義の間をもう一度精細に繋げる作業が必要のように思われる。それは人間の脳を科学することを通して、科学の領域を拡張することで可能となるのだろう。一方で科学万能という言葉が安易にすぎるように感じられる。科学は壮大な自然のごくごく一部しか論理化できていないという謙虚さが必要だ。デザイン・ベイビーに手を染めた若い中国人学者の愚かさは、盲人が蛇を恐れないという諺どおりであり、視野狭窄した科学者の危険を教えている。未開人のようなオカルト論者が語る神、超常現象などに耳を傾けるのは愚かだが、科学のフロントは神の領域と接していることを改めて注視しなければならない。iPS細胞の発見はいわば神の領域に科学が一歩前進したことを意味している。

 神がいるかいないかという固定化した宗教の話ではなく、神とはそもそも人間が自らの知的理解の及ばない世界を司る主体がいるように夢想したことで生まれた言葉に過ぎない。それはホモ・サピエンス以前、霊長類以前、あるいは哺乳類以前、動物以前に遺伝子に刻まれた情報制御因子だったのだろう。生命誕生の時から大自然と生命体は一体化しつつも分離し、自らの生体構造を構築させ、進化させてきた。今もそれは変わらないのであり、人間のDNAは進化し続けており、また知性を強く働かせている人間は人間の似姿としてのロボットを進化させつつある。自然が生み出した生命体、そして人間は、神の被造物でありつつ、自ら掌の中で、物質を道具化して神の似姿を造る試みを続けてきている。先史時代のアーキテクチャーは今は先端技術に継承されている。アーキテクチャーの長い歴史の上に、建築物が様々の人工物や芸術行為とともにひとつの先端技術であり続けた来た。

 そのような観点で建築史を、先史時代から現代まで解き明かしたい。結構、勉強してきたのでそろそろ本論を始めようかと思いつつ、なお疑問を解消するために図書館を渉猟する日々が続く。