フラハティによる創造性談義から

 創造性というものが脳内のどこに発しているのか。脳科学もまだ解明できていないようだ。アリス・W・フラハティの『書きたがる脳ー言語と創造性の科学』というタイトルに惹かれ、読んでみた。何だか、小説を読んでいるような面白さがあった。自らの出産に伴う不運がもたらした鬱、ライターズ・ブロックという鬱からハイパーグラフィアという書き出して止まらない躁への転換など。神経科医師の科学的説明を期待していたが、この症状のせいか、周辺の話題が面白く展開されて、本質に明快に迫ってくれない。

 何とか収穫と言えるものは、文学的な創造は側頭葉の障害からわかるものがあるということ。もっともこの側頭葉というのは内側側頭葉を含むというものであり、海馬、扁桃体もそのうちに入っていた。皮質に対する辺縁系。つまり、記憶と情動が関わっていた。文学だから言葉の記憶は当然、やはり扁桃体がキーワード。ただ情動の発生場所という扁桃体も、まだまだ謎があって情動以上の処理を行っているという話もどこかで読んだ。

 特に怒りの発生場所と言われてきた扁桃体が、むしろ視床下部に発する怒りを制御するのが扁桃体であり、他の情報を含めて整理する司令塔のような役割を担っているとも言う。文学作品という高度に知的な言語の構築物、論理的でかつ美しいものの、感情的な部分は扁桃体が操作しているようだ。単純に還元主義的に扁桃体=怒りとしてしまってはならないようだ。科学だから取りあえず還元主義に頼らないと、つまり「分析」しないと物事は進まないが、そこで終わってしまえば科学者の石頭と言われてしまう。

 フラハティは暗喩に着目している。「病としての暗喩」。暗喩にはイメージの跳び越えが必要。暗喩群の宇宙は壮大だ。詩神(ミューズ)はどこにいるのか。創造的インスピレーションは宗教的インスピレーションと共通するという。インスピレーションはそもそもインスパイア、息に関わるもの。リビドーよりも息。そして気。(そうか、村上春樹のリビドー偏愛。気の創造性を忘れているか。)

 美とは何なのか。ミューズはどこにいるのか。ドーパミンが放出されるまでに何が起こらなければならないのか。記憶された言語がブローカ野で構成され、ウェルニケ野で受容された、というだけでは単なるデータ処理に過ぎず、美の感動は起こらない。脱線が必要。暗喩はそこで、アハッ効果を起こすのか。

 

 さて建築論へ。建築にはリビドーよりも気か。ギーディオンの『永遠の現在=美術の起源』はリビドー的なものを論じていたが。モニュメントの始まりには確かにリビドーが関わるか。それはさておき、ここでは気を考えよう。メディチ家礼拝堂をデザインしていて、ミケランジェロに美神(ミューズ)が降りてきた時、インスピレーションが発生した時というのはどういう状況か。まずは時代を席捲してきた、プラトン的な、正方形に内接する円が、幾何学的なドーム形を与え、ミケランジェロはそれを感じた。それは人間界と天上をつなぐ静止。人間界はもと息が通う。「昼」と「夜」、「夕暮」と「曙」の彫刻は時空をエネルギーを込められて揺れ動く。大きな息が聞こえてくるようだ。しかし喜怒哀楽は調整されている。扁桃体の感情制御機能か。扁桃体の働きなしには起こらなかった。

 丹下健三はダビンチの理知よりもミケランジェロの情動に目を向けた。アポロンよりもディオニュソスアポロン的でもあるル・コルビュジエに、丹下はミケランジェロ性を見出した。創造性はどこに発したのか。

 メディチ礼拝堂では、「昼」と「夜」、「夕暮」と「曙」はメディチ家の両人の冷静な構えを支え、天上へとつながる。揺れ動く気は、壁面の建築装飾に伝わり、比例構成を震撼させて破格を引き出させた。オーダーを構成する各種エレメントが拘束を解かれたように、異様に力強く迫ってくる。この気はどこから来たのか。ミケランジェロ扁桃体に何が起こっていたのか。両英雄に対する畏敬、ルネサンス的な人間に内在する神の洞察、それらが彼の扁桃体に届いたのか。それが彫刻、建築、空間へと変換された。これがフラハティの言う暗喩なのか。確かに何の関わりもなかった英雄への感傷と石の造形。

 その時のミケランジェロが受けたインスピレーションとは?何もない空(くう)に出現した幻影。それは脳に欠陥を負った患者に現れる幻視と、機構上はそれほど変わらないのだろう。夢を見る人間だからの芸術の誕生だったか。まだまだ神秘は解き明かせそうにない。

 

神経科学からの装飾論

 ニューロンを伝い、シナプスを渡るという脳内の電気信号。その電気的な刺激は傍らから様々の情報を得て強化されるという。それを修飾とも言うらしい。ドーパミンセロトニンノルアドレナリン等の神経伝達物質が神経修飾物質とも呼ばれている。自然科学の領域で使われる修飾という文学的な言葉から、ふと考えた。普段から使っている建築装飾の装飾観が震撼した。見栄えの悪いものを覆い隠し、快感をもたらすものとしての装飾でなく、伝えるべき中心的ものを強化するものが装飾なのか。

 『装飾と罪』でA.ロースは装飾を断罪したが、その際の装飾は19世紀歴史主義の様式化した装飾手法だった。そこでは装飾は本来の建築物を隠す、厚化粧のようなものだった。彼はいわゆる「ロースハウス」の商店建築で、そのような古典主義的な装飾文法がバロック化、ロココ化した、19世紀的な壁面装飾を剥ぎ取って見せ、隠されていた本来の建築とは何かを露出させた。しかし、彼はドリス式の円柱は残した。それもまた装飾であろうとも思われるのだが、彼は虚飾と意味ある本来の装飾を分けたのだった。

 脳科学における神経伝達の際の修飾という考え方に照らしてみて、ドリス式の円柱は必要な装飾物だったことになるだろう。イオニア式、コリント式はそうではなかったのか。古代ギリシャにおいて、装飾の始まりだったドリス式は、本来の建築物のあり方から生まれたものだったことになる。木造建築をモデルにした石造彫刻として始まった神殿建築では、木造建築の部材の組立がそのまま石造彫刻となった。エンタシスのある膨らんだ円柱、エキノス、アバクスという二枚の板を重ねた柱頭、これらの単純な立体群は木製部材を連想させる。そもそも石造建築は壁のみでの構造が合理的であり、柱は無用なはずである。あえて円柱を並べた事自体がすでに装飾行為だった。柱を彫刻することは重要な意味を伝えることだった。ロースはそのことを忘れなかったのだろう。

 そういった意味ある装飾が、ただ目の快楽だけのために用いられるようになったところに、装飾の堕落が始まった。伝達すべき刺激を強化するのでなく、伝達すべきものがないのに勝手に貼り付けられ、躯体から分離独立して自立的に発展、あるいは暴走する。鑑賞者の立場からはそれもまたよしとすべきものだが、対象者は疎外され、むしろ虐げられていった。そこに革命が必要と考えたのがロースだった。

 建築様式はつねにそのような誕生から没落までの経過をたどる。つねに、というのはそこに何らかの法則性があるからであり、没落を悪だとも言い切れない。様式の進化はそのようにして進み、あるパラダイムが一サイクルを終え、次のパラダイムに転換される。

 薬物患者ではドーパミンの放出が自己目的化するようだ。本来の電気刺激を強化するための装飾として快感をもたらす神経伝達物質ドーパミン。その代替薬物が、本来の電気刺激とは関わりなく快感をもたらしてしまう。それに依存すると底なしの暴走。確かに醜いものを隠す化粧にもそれなりの意義はあり、否定すべきものではない。身体的な痛みを緩和するために麻酔薬物が必要な時があり、そこにある医学領域が成立している。同様の緩和剤としての装飾が自立した道具となり、それが独自の成長をとげていくことを否定するものではない。しかしそれが暴走するまでになったりすることがあるならば、自己制御機構が必要である。

 はたして、現代の建築装飾はどのような状況にあるのか。モダニズムの歴史的経過においては、機能主義の非装飾的な建築形態としてのインターナショナル・スタイルは、やがてアールデコの装飾を纏うようになり、建築躯体自身が心理表現媒体となるレイトモダンのスタイルを経て、さらに装飾性が躯体から分離独立するポスト・モダンのスタイルに移行する。それ以後、今日まで、装飾はいわば暴走段階に入った。鑑賞者の側からすれば、それは暴走ではなく華麗な発展であり、文化ではあるのだが。

 こう見れば、神経科学からみた装飾論は使えそうだ。まだまだ細かく分析できそうであり、20世紀における建築装飾のメタモルフォーゼを整理し直すことにもなりそうであう。装飾の観点からのモダニズム論。通俗的モダニズムの見落としてきたものが見えてきそうだ。

ブリューゲル一族の脳内を覗く

 ブリューゲル一族の絵には多数の庶民が登場する。ピーテル・ブリューゲル(父=一世)、ピーテル・ブリューゲル(子=二世)、ヤン・ブリューゲル(一世)等々。16世紀初期にイタリアに旅した父は、当地のルネサンス絵画の誇らかな手法からの影響はほとんど見せず、独自の誇らかでない手法を続けた。どうしてこうも違うのか。フィレンツェ等に比べてもひけを取らないアントワープブリュッセル等、経済発展の拠点だった町にあっても、イタリア・ルネサンスの華やかさは目標にならなかったのか。ヒエロニムス・ボスに始まる後期ゴシックの延長上に、庶民生活的リアリズムへ。それは人文主義プラトン的なものを理解できない能力の低さだったのか、それとも何かの理由があったのか。

 ネオ・プラトニズムの比例美、色彩、リアリズムは引き継がれない。イタリアではマニエリスムが意図してネオ・プラトニズムの完全性を否定し、破壊した。継承されたルネサンス文化から、いわば魂が抜かれ、手法の時代へと転換する。意図的であるかないかにかかわらず、批判的な視点へと移行した。

 様々の時代背景が説かれていて、北部ヨーロッパを席巻した宗教改革も関わる。脳の中で起こっていたことが気になる。ネオ・プラトニズムは天上の完全な幾何学秩序を見ることでドーパミンを放出させた。こちらでは天上のことは忘れられ、地上の日常生活しか目に入っておらず、視線は水平である。イタリアでゴシックの垂直性を否定してルネサンスの水平性へという転換があったわけだが、こちらではそのような転換ということもないままに、視線の水平性が当たり前である。

 東京都美術館の企画展でピーテル・ブリューゲル(子)の『鳥罠』を見た。高台から見た集落風景の彼方は水平の地平線が見え、アントワープかと思われる都市がうっすらの描かれる。集落の間の自然な川には氷が張り、大人も子供も氷上で遊ぶ穏やかな庶民生活風景。片隅に描かれた鳥を捕獲するために仕掛けが題名となっており、突然に悲劇に陥ることに気づかない鳥たちが、突然割れて溺れるかもしれない人々のメタファーとなっているのだという。そのようなやや無理な設定はどうでもよく、ここでは普通の人々が暮らす光景が見る者の目に親しみやすく映っていただろうことの方が大事だ。

 当時、複写はさかんになされ、この絵も多数の複写作品があるという。同画家のものが国立西洋美術館にもひとつあるようで、Web上のデジタル画像で見比べてみて、枝先の描写までほぼ一致するのには驚かされた。感動的な要素はないので複写対象になったことがあまり信じられない。しかし当時の人々は何かに心惹かれたのだろう。購入したのは貴族か都市の有力商人たちだったろうか。いわば田舎風景にもうひとつのユートピアを感じていた富裕者たちがいたのだろう。虚飾に倦んだ人々の逆説的ユートピア。プラトニズムの逆説。仮染めの都市文化からの脱出を憧れる、心の片隅のアジール。そう、田舎らしさ、ナイーブさ、無欲さこそ人間的に見えてしまう心の隙間。サブカルチャー的なもの。

 同じ企画展で見たヤン・ブリューゲル(一世)の『水浴する人たちのいる川の風景』は、『鳥罠』と同じ光景を、夏の風景として描いたもの。細部こそ異なるが、教会堂、家並み、樹木の位置と形状、そして全体の構図まではほぼ同一。鳥罠は見えず、教訓的な胡散臭さはないようだ。やはり田舎の風景こそがテーマだったのか。もちろん夏の風景なので樹木は葉で覆われ、緑が基調。川では裸の人々が泳いで遊ぶ。二つの絵画を並べて展示してあれば、大地の生命感が伝わる。

 今日的に言えば、エコ感覚。人工的なイタリア・ルネサンスのプラトニズムに対する、有機的なネーデルランドルネサンス。後期ゴシックの有機的神秘主義の延長上でのエコ感覚。もちろんもはや中世ではなく、宗教的なバイアスは消え、人間的という意味ではもう一つのルネサンス

 ラテン的なものに対するゲルマン的なもの。有機的なものが埋め込まれた神秘主義が継承される。描かれるのではなく隠れたまま侵入する。画家の意識には上らないままにキャンバスに侵入する。画家の手は無意識のうちに操られている。誰かに操られるのでなく、無意識の自分に操られる。脳の中の陳述記憶が考えながら描いているはずなのに、非陳述記憶が黒子となって操っている。陳述記憶にある比例や色彩のネオ・プラトニズムは、まるでテロリズミのように非陳述記憶によって闇のうちに崩される。

 ピクチュアレスクな風景とはいえ、ここではいわばハレ的な美はなく、ケ的な美が展開される。心は浮き立つわけではなく、ただ落ち着くだけ。故郷に帰ったような安堵感、解放感。態とらしくない風景。本音の生き様。美味なものを味わうよりも命をつないでくれるものを食べるような感覚。癒し系のセロトニンが関わるのか。画家はルーティンワーク化した手業を小脳に記憶しており、無意識のうちに絵にする。これも一種の様式論の対象。

 

ルネサンス脳

 ルネサンスを迎えるイタリアでは、中世のテデスコ(ドイツ)の建築様式、つまりゴシック様式に対する嫌悪感が高まっていた。古代ローマ時代の遺構は到るところにあり、その建築様式が理想的を見なされ、その復活が目論まれる。しかし、それは単なる復古現象ではなく、人文主義という新しい地平での新文化の創造であった。

 少し不思議なのは、ゴシックのイタリア語ゴティコという言葉は、ゲルマン民族のうちのゴート族の名に由来するが、イタリアがゴート族に支配されたのは5世紀末から5世紀中頃までのことであり、サンドニ修道院教会堂でゴシック様式が生まれる12世紀中頃のはるかに以前のことである。10世紀以後、イタリア半島はドイツに拠点がある神聖ローマ帝国に支配されるが、その名の通り、この連合国家古代ローマ帝国衰退後の混乱したイタリアを安定させるために、古代ローマ帝国を継承するという姿勢だった。イタリアでは独自のロマネスク様式が生まれ、ゴシック様式もかなりイタリア化して取り入れられた。ミラノ大聖堂シエナ大聖堂など、明らかにイタリア人の感覚が盛り込まれた固有のゴシック様式となっていた。ヴェネチアの総督宮殿などは19世紀にイギリス人ラスキンが、その独特のイタリアらしさに憧れるほどだった。なぜそれが嫌われたのか。

 また、ルネサンス期はキリスト教の大きな転機でもあって、ルネサンスの建築様式は従来のキリスト教教会堂の建築様式を否定するものだったから、ドイツ嫌いというよりは中世型の宗教を嫌ったという側面も大きい。ブルネレスキらが復活する建築様式は、実態としてはビザンティン、ロマネスク、ゴシックを含む中世キリスト教の時代の建築様式を退け、キリスト教以前のローマ帝国の建築様式に倣おうとした。ゴシック批判はわかりやすいアジテーションのネタになっていたという一面もあろう。皮肉なことにとばっちりを受けたゴート族だったが、彼らとは何の関係もないゴシック様式の名は、当初の蔑称だったものが、今では重要な歴史的様式の名として定着してしまった。

 妙な経緯ではあったが、結局、15世紀に隆盛となるルネサンス様式は、壮大で重厚な古代ローマ帝国の建築様式よりは、明るくて人間味のある様式となり、かなり換骨奪胎された形で復活する。古代ギリシャ、ローマの文化を知的に再解釈しようとする姿勢は、人間中心の時代にあって古代とは異なる世界観を築き上げる。もちろん中世の世界観も否定され、そこに新しい時代を迎える。人間礼賛を基盤に、ネオ・プラトニズムという古代再生型の思考体系は、特にイタリア本国では近代文化の始まりとしても位置づけられている。

 建築様式は古代の装飾様式を採用しているわけだが、建築形態の比例などは、いわば近代的な比例理論に従っており、それが教会堂のファサード、プラン、ドームを中心とする立体構成などに展開された。もはやそれは古代とは大きく異る建築様式となった。ブルネレスキの捨て子保育院に見る整然としたアーケードのファサード、アルベルティのサンタ・マリア・ノベッラ教会堂に見るよく比例分割された新規のファサード形式など、人々は幾何学的な比例美というものを享受することとなる。

 それは眼球から視神経を経由して後頭葉の視覚野に至り、色彩と形態が細かく分析される。ファサードの大理石の鮮やな色彩、白色の石肌が反射する光、きちんと構成された水平線、垂直線はいずれも単純で捉えやすく、色彩や形態の認識に特化されたニューロンを直接的に、また即応的に刺激する。いわば脳にとって解釈しやすい刺激なのだ。中世キリスト教のもとでは憂鬱で抑圧的な空気を克服しなければ恍惚感は得られなかったが、ルネサンス建築はいきなりドーパミンを放出させる。宗教音楽も同様に聴覚神経、聴覚野を通して脳を即座に反応させる。これがルネサンス脳の基本なのだろう。

 ファサードの二次元的な秩序、またそれを三次元化した際の透視図法に則った建築空間は、ルネサンス脳の特徴である。脳が明快な反応をしてくれるためには、ファサードの奥が複雑になっていたとしても、ファサードはデザイン画のように明快に水平・垂直に構成させられる。ファサードに窓が並ぶ時にはたとえ開口部が必要でないところでもブランド・アーチなどで窓型だけは造形される。壁の向こうに空間がほしいと思えば透視図法でだまし絵を描くように薄いレリーフが持ちられる。ルネサンス脳にとっては眼に入るものは秩序だったいなければならないので、トリックを使って嘘をつくこともやむを得ない。人の目の恒常性という特質は、歪んでいるものも目で修正し、秩序だったいるものと強引に解釈する。ある意味では綺麗ごとで表を取り繕うという、あまり芳しくない癖も伴っている。それも含めてルネサンス脳と見ておかなければならない。

 この伝統は現代イタリアまで続いている。デザイン大国イタリアの地位は揺らぎようもないが、見た目で選んだ小物が壊れたりする。ドイツ製品は見た目は無骨だが、メカは故障せず、質は高い。テデスコの自動車はイタリアでも質の高さで好まれる。やや嫉妬も含まれるようだが。ずいぶん昔、ベルリンでイタリア人建築家アルド・ロッシが小さなホールで講演を行ったので聞きに行ったが、たまたまドイツ製のスライド・プロジェクターがうまく作動せず、ロッシが「ドイツ製品かい!」と皮肉っぽく笑ったのが面白かった。

 

 

ゴシック様式・・・ つづき

 様式は数百年継続した。この継続性がテーマ。庇護感は長続きしないだろう。基盤的な庇護感は持続するだろうが、次第に薄れる。より強い庇護感を得るにはより新しい要素を持って、人の感覚を刺激しなければならない。新しい刺激をもたらした新しい工夫も記憶に残されると刺激的ではなくなる。例えば視覚的に、以前よりもさらに刺激的な視覚表現が求められる。素朴なゴシック様式は、より繊細に、より大胆に、より刺激的になっていくこととなる。

 教会堂の内部では、信者は様々の苦悩から解放してもらいたいと願う。苦悩の原因は教会堂の中で取り除くことができるものではないが、苦悩に耐える、あるいは苦悩をぼかすために、宗教が貢献する。教会堂の建築物は世俗の些末なことがらを一時的にも忘れるような仕掛けが備えられている。信者席でひとり祈っていれば、個として神に直接つながるように感じることができる。厚い壁の内部はひと目も届かず、静寂で雑音は聞こえてこない。壁や柱は聳え立ち、天に届くような感覚を覚える。世俗的な感覚を離れ、意識は高みに引き上げられ、心身の苦痛を忘れさせる。感覚器官が取り込むものと脳が組み立てる意識の間にズレが生じる。

 心が大きく現実の身体から遊離することで、人は恍惚感を味わうこととなる。感覚器官の能力を超えるには、視覚の範囲を越える聳え立つ垂直の空間、ステンドグラスの光を満面に帯びた聖人の絵画像、石壁の間を反響するオルガンの音楽など、閾値を超えて日常の感覚を乱す要素が教会堂に備わっている。ピークフローの理論だ。そこに神の存在が幻のように感じ取られることとなる。幻視、幻聴が起こることもあろう。

 薬に免疫ができてしまうように、恍惚体験は以前より以上の刺激を必要とする。教会堂の造形・演出者は信者の欲求に答えるべく、効用が持続しなくなると刷新が必要となる。他の教会堂で見てきた新しい工夫を取り入れることが求められたりしたろう。そうして新しい芸術様式が伝播し、また進化し続ける。

 恍惚感は快感物質によるだろうから、例えばドーパミンを放出させる刺激があるのだろう。快感のメカニズムが働く報酬系が活性化する。

 

ゴシック大聖堂と脳

 ゴシックの大聖堂は脳科学的に解釈できるのか。なかなか答えが見つからない。中世においては個人は埋没していた。ルネサンスとともに人の個人的な能力が直接に評価されるようになるが、中世には芸術家の名前もおぼろげでなる。そこでは個人よりも共同体社会が優先されていて、個人は全体に奉仕するのが当然という心理構造があっただろう。

 そこでは社会集団の心理がテーマであり、アドラー心理学のような共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)で解釈する方が理解しやすい。生得的なレベルでの生物学としての脳研究は役に立たず、後天的な社会心理の生成についての研究の領域なのか。アドラーは人間をホリスティックに眺めていた。身体がひとつのモナドなのか。モナド群が社会をなし、ひとまとまりの社会の利害が共同体意識をつくる。

 そこでは教会堂はひとつの共同体を収容するシェルターであり、いかに強固なシェルターとするかが課題となる。共同体をなさなければならない理由は、例えば農業生産における共同作業、社会の内的な秩序を保つための民主的な社会運営、つまり政治と行政、他の共同体との対立・協調関係からくるテリトリー、境界線の意識。教会堂は共同体に神の恩寵があるようにという、安心・安寧心理を操縦する施設。

 恐怖を感じる扁桃体が興奮状態を脱するためのツールとしての宗教というもの。教会堂は扁桃体の緩和手段。そこでは具体的にどのような建築的なメニューが用意されているのか。あらゆる項目が関わるだろうから、すべてを挙げるには手間がかかるか。

 例えば、大集団を収容するための大ホールとしての教会堂。その集団がひとつの儀式(ミサ)に参画し、聖歌をともに歌い、殉教者キリストの善意を共感する。聖俗の区切りをつけるために重厚な壁によるロマネスク様式、地上と天上を結ぶ垂直軸がモチーフとなるゴシック様式がそこに生まれる。

 個々人の脳は、例えば立ちはだかる重厚な壁に囲まれて、洞窟住居に原始人が覚えた庇護感覚を覚えたか。垂直軸線は森の大木の頼りがいのある依存相手と感じたか。扁桃体から恐怖感を解除させるのに貢献したことだろう。ロマネスクの壁にはわずかながらの素朴な装飾が生まれはじめる。窓は素朴な円形アーチで閉じられて安心感がある。壁が各部位に細かく分割され、解きほぐされていく過程において、ゴシックに遷移する。そこに垂直線が次第に明確に、また繊細に表現されていく。区切られた丸柱は次第に足元から天上の頂点まで続く一直線に変貌して、固有の生命感を帯びていく。大きくなった窓にはステンドグラスが色彩と光の芸術的演出をなし、そこに聖人たちの大きな像が描かれて、多数の聖人像が周壁をかたちづくる。庇護感覚はますます高められる。

 とりあえず、扁桃体が大きく関わることはそのように説明できよう。もっと多様な部位との関係を知りたい。

 

 

ミケランジェロの造形脳

 ゼキによるとミケランジェロの彫刻、絵画に未完成が多いのは、作為的だったという。未完成の部分に対して鑑賞者が多様な読み方をできるのが、彼の意図なのだそうだ。やや穿ち過ぎのような気がするが、覚えておきたい。私には、ただ、あまりに目標が高いために自らにプレッシャーをかけてしまい、自縄自縛に陥ってしまったのではないかと思える。

 鑑賞者に対する姿勢という意味では、ある程度、共感できるところがある。建築物のデザインにおいては自己満足よりも使い手のことを考えるものだろう。サンピエトロの場合、足元からドームに至るまでの力の流れが表現された。それは見る者に安定さを印象づけ、安心感を与える。その力感を表現しようとするのは、メディチ家礼拝堂の彫刻に表れていたものだ。

 ブラマンテの完全な半球体としてのドームは、ミケランジェロによっては捨てられ、やや尖り型のドームとなり、かつ上下のラインが目立ってくる。プラトンイデア幾何学秩序はやや崩されるのだ。それが盛期ルネサンスから後期ルネサンスバロックへというミケランジェロの傾斜を象徴している。静謐な秩序ではなく、力動性を孕んだ安定感が目標化されていた。

 その変化の方向性は、彼自身の内部に閉じられた完全性ではなく、社会、といってもこの時代は今日的大衆社会ではなくメディチ家に代表される都市貴族たちの社会が求めたものだったろう。ミケランジェロの変遷過程はまさに、この時代の社会に運命づけられたものだった。ルネサンスとは人の内側で進行する生理的な現象に突き動かされて起こっており、現状に留まることをよしとしない人間的な欲望がそうさせた。

 より新しい、より納得のゆく表現を求めて、様式は急速に変遷してしまい、ミケランジェロの脳内での進化スピードに、制作が追いつかない。そうなれば、制作途中の作品が、もたもたしていると矛盾を孕んでしまう。未完成のままを少し間を空けてしまうと、改めて着手しようとすると、もはやイメージが合わなくなっている。そんなことがミケランジェロを悩ませていたのではないだろうか。

 建築であれば、おおよその図面を一気に描いておけば、あとは弟子たちが形にしてくれる。完成した頃にミケランジェロ自身が不満に思ったとしても、組織がカバーしてくれる。自ら最後まで手をくださなければならない彫刻や絵画はそうはいかない。サンピエトロは完成に至るまでに他の芸術家の手に移り、プランなどは大きく変化させられた。

 つねにより新しいもの、より生き生きしたもの、より深い表現ができたものを求めるというミケランジェロの脳を分析したい。出発点の造形感覚は記憶に残り、脳内で様式化している。その際の様式とは眼と手が関わる視覚野、体性感覚野、運動野、そして時代の要請などの知恵が関わる前頭前野、創造することの芸術的意思が関わる扁桃体(?)、等々、全脳がある流れのようなものをつくっているのだろうか。その流れ方が、いわば自己批判の連鎖をたどって急速に変化してしまったら、終わりというものがなくなる。

 芸術と脳の関係についていくつか新しげな書籍を当たった勉強してみたが、もうひとつ腑に落ちず、この造形作業というものがわからない。ゼキは視覚野との関連で絵画の解釈方法を教えてくれるが、動的な造形意思のところが欠けている。カンデルはいきなりフロイト的な性衝動のテーマに没頭してしまい、飛躍がある。もう少し考えよう。