建築のリアリズム美術について

 クールベのリアリズムは、どのような脳内現象なのか?新古典主義の英雄的な理想主義を否定し、他方でロマン主義の深い個人的心情告白も否定する。いずれも何か嘘くさい。そう思ったとき、目の前の現実世界が目を落ち着かせる。実存主義的。クールベはそのままの自分の姿、そして友人たち、複雑な社会をそのままキャンバス描こうとする。強い感動もないものを題材にする必要があるのか。当たり前の日常を描いても意味がないだろうに、なぜ態々?リアリズムはそもそも芸術に必要なのか?遠い理想、深みの心情、そういった現実から大きく隔たったクオリアを壊すためのふるまいなのか。相対主義。強い遠心力を逃れ、強い求心力も回避するべく、それらの否定に意義を見出す。批判的な美意識か。

 リアリズムという言葉は美術の世界では「写実主義」、社会・社会の世界では「現実主義」と訳される。いずれも19世紀の中頃に隆盛となっている。芸術ジャンルの中でも建築にはいずれの言葉もない。この時代は歴史主義、折衷主義、あるいはビーダーマイアーが関係する。古代ギリシャパルテノン神殿が白色ではなく、白大理石に極彩色の装飾が施されていたことが次第に知られるようになり、白色の新古典主義からポリクロミーのネオ・ルネサンスへと転換する。これも一種のリアリズム、つまり理性的な幻想から感性的な実態へという移行だったとしてよいだろう。理性脳から感性脳へ。前頭葉の独裁から、後頭葉、側頭葉の復権へ。それはいわば脳内社会での独裁制から民主制への移行、一極集中から多極性への移行を象徴している。マニエリスム的な転換という意味では、身体も含めたトータリティの回復。リアリズムとは単に現実に戻るというだけでなく、人間の全体性を再確認することだったのか。

 アドルフ・メンツェルは、英雄フリードリヒ大王がロココ装飾に包まれたサンスーシ宮殿でフルートを嗜む姿を描いた歴史的な絵画を残した。他方でシュレージエン地方の製鉄所で働く労働者たちの息詰まる場面をダイナミックな絵画に描き、19世紀中頃のリアルを芸術化した。他方でベルリンの自室と窓の外のやや乱雑なスカイラインになった新市街地の都市風景をそのままに描いた。歴史的英雄主義とリアリズムの両極に股をかけていたことになる。産業革命の進行と巨大化してスプロールする大都市の実態を直視。他方でクールベはアカデミズムを否定しつつ、パリコミューンで反乱者に与し、コンコルド広場の円柱モニュメントを倒させる。これは一種の批判的建築論かもしれない。エンゲルスマルクスが活躍した時代だった。

 建築はそもそもパトロン、つまりお金を出す人たちの支援がなければ仕事にならない。こういった美術界のリアリズムには本来的に関わらない。ただ、産業革命は大規模な工場を生み出していて、建築エンジニアたちが関わっていた。エッフェルはそこから19世紀後期に英雄になっていくが、大多数のエンジニアは影に隠れている。メンツェルの製鉄所は鉄骨をあまり秩序立たないまま組んだプラントを見せているが、建築の姿ははっきりしない。たいていは素朴な煉瓦壁の大きな建物で、鉄骨構造の屋根がかかっていたのだろう。労働者の環境は過酷だったことはわかる。

 19世紀を通して、次第に鉄骨建築が表舞台に出てくる。ウィトルウィウス主義は続くので、コリント式の柱頭装飾を持った細長い鋳鉄製円柱がインテリアに組み込まれるようになる。建築様式に英雄主義とリアリズムが合体する。イギリスやフランスで巨大な駅舎が登場するが、そこではファサードこそ歴史主義装飾を持つものの、内部は鉄骨造ガラス天井のプラットホームとなり、異種構造物が強引に組み合わされる。理想主義とリアリズムの調停は20世紀を待たなければならない。

 建築におけるリアリズムというものを唱えることも可能なようである。

ルネサンスのクオリア論

 比例論はウィトルウィウスに遡るわけだが、ルネサンスにはとりわけ比例感覚が重要となった。とりわけファサードの分節は比例美のもとでなされていた。さてその感覚はどこに基盤を持っていたのか。

 比例美の感覚は芸術家・建築家の脳に宿った。より正確に言えば、脳と外界の間にヴァーチャルに成立したとすべき。比例美は遺伝子に発していたのかも知れないが、具体的なファサードの比例美がそのまま遺伝子にあるのではないだろう。ファサードに比例を施すことは、人間と外界の間に一局面に過ぎないはず。

 例えばアルベルティによるルチェッライ邸。脳内のどこかにある比例美に反応するニューロン群。さまざまのファサード分節の比例が可能な中で、選ばれたものが、このファサードに適用された。アルベルティの脳内で、ひとつのクオリアが励起された。

 芸術家個人のクオリアが現実に建築物に表れてよいのは、ルネサンスだからだろう。中世では宗教のもとに個人が自由に表現をできなかったろう。宗教観というのも別のクオリアだったろうが、それは統率され、時には異端宣告されて争いもあった。ルネサンスのこの比例美クオリアは中世の宗教観とバッティングしない。掠めていったと言うべきか。しかしそれはとてつもなく大きな出来事。時代のパラダイムが転換。集団心理としての宗教は二の次となり、個人の芸術能力の方が優先した。

 それこそがルネサンスを特徴づけるものとなった。人間中心とはそういうことか。芸術家個人のクオリアが他の人間たちに受け入れられ、社会化された。ローマ教皇フィレンツェの芸術家たちを招いたのは、中世宗教の敗北宣言でもあったか。

 ミケランジェロラファエロらがこぞって招かれた時に、レオナルド・ダビンチだけが招かれなかった。なぜか。天才的ということは知れ渡っていたはず。キリスト教ではタブーとされたホモセクシャルだったことが教皇をためらわせたのか。クオリアの優位もなお限界があったか。しかしミケランジェロにもその性向はあったはずだが。

 ダビンチの形態美のクオリアはやがて正方形と円形という純粋主義へ。集柱式建築をブラマンテとともに崇高なイデアに徹底された。ルネサンスのアイコンへ。サンピエトロ教会堂を通して王座に。ミケランジェロに継承される。クオリアの自律へ。芸術家の才能(ジーニアス)が勝利。

 その芸術性のクオリアは後期ルネサンスバロックロココへと推移。人間中心主義の時代。

 絶対主義君主が横取り。権力構造に加担する。その上でギロチンへ。近代はクオリア論的な個人主義を排し、普遍的な個人主義へ。理性の作用。やはり近世とは天才的クオリアの時代だったことになるか。

 

宗教のパラダイム転換過程

 古代神話型の宗教と中世キリスト教型のそれの土台の違いはどう表現したらよいか、悩んでいたが、少しヒントあり。宇宙型と救済型。まだわかりにくいが、ヒントにはなる。古代人はともかくも宇宙を理解する言葉を必要とした。中世人は地上の人が死後、幸福であることを求めて物語を必要とした。それでは近世人は?彼は地上で、現在の幸福を望んだ。つまり天を忘れてよかった。

 しかし、天を捨て、死後の世界を捨てただけで済むのではなく、天、死後の新しい見方を確立し、過去の世界観を修正してしまわなければ、いつでもそれが復活する可能性がある。だから、宇宙の理解のためにクールな自然科学が構築された。死後の人間についても解剖学を通して人体を科学にした。救済のためにキリスト教は残ったが、もはや中世の、弱い人間像は捨てられた。いわば自己実現が新しい幸福感となった。天才はいま・ここで開花してよい。死後には何も期待できるものはない。

 まさに、ルネサンスは芸術家の時代。万能人の時代。

 ルネサンスにおいては宇宙とは円。地上の正方形とで、ドームを載せた集柱式建築。ダビンチ、ブラマンテ。宇宙は幾何学で、つまり人工的な科学で解釈された。そして神人同形説。生身の人体には比例が宿る。人間を中心に置く宇宙観。他方で最高の美を創造する人間。地上で、あるがままで救済されている。宇宙論と救済論は一体化した。生きていること、生命のもたらす能力をすべて働かせることが目的となる。美と幸福の追求。

 ルネサンス古代ギリシャの各種の学問、知識体系を学び直した。それは宇宙論の批判的発展。キリスト教権力は続くが、もはや原点の救済論を忘れていたため、宗教改革は聖書の文面に戻って救済論の脱構築。近世とは伝統の批判的継承。革命でありつつ再解釈による再生。人文主義とはその有様への命名。古代、中世、近世へという過程は一定の連続性。このプロセスは必然だったのかどうか。進化だったかどうか。とりあえずは西洋社会では進化論的。

 日本もおおよそ似たような進化過程と理解しているのだが、それはホモ・サピエンス的な普遍性なのかどうか。中国ではどうだったのか。複雑な経過なのでわかりにくい。風水論・儒教の時代から仏教の時代へ、そして(風水論・?)儒教の再生、という過程が説明されている。洛陽・長安の風水型首都、隋・唐ではそこで仏教。元の北京の風水型もどき。この古代儒教の最盛期は古代哲学を再生させたヨーロッパのルネサンスとパラレルなのかどうか。ここがわかると普遍性と言えそうだが。日本も含めた普遍性。宇宙型、救済型、自己実現型(人間中心思想型?・・・命名しにくい)という過程。

 とりあえず、仏教の脱構築がアジアでの近世か。中国での有り様がわからないが、日本では信長の比叡山焼き討ちがイメージされる。石山本願寺一向一揆とは何だったのか。仏教の脱構築だったのか。キリスト教の流布と排斥のプロセスは、結局、武士階級支配のもとで儒教の再生、寺請制度による仏教の世俗化に終わる。宇宙型、救済型の宗教は脱構築されて新体制を築いたか。

 秀吉の京都は、古代型宇宙観の批判的継承か。聚楽第大内裏の跡に。条坊制、そして方位、鬼門の風水論は結局、継承された。御土居という新しい近世的な境界線が加わったが、宮殿たる秀吉二条城(第)を中心に置く明快な都市形態。いやにヨーロッパ的。人間中心思想=宮殿中心都市構造。新しい宇宙観、救済観。

 秀吉は死後、豊国廟・豊国神社で神となる。仏教的救済は不要。それは家康の東照宮に継承される。もはや俗っぽい神。

 このパラダイム論は、だいたい筋は通りそうかな。

 

合理的造形の背景にある情動

 ダマシオは情動→感情→理性という順番を想定している。『意識と自己』の始めの方で。情動が非理性的なものとして下等に扱われてきたことに批判しつつ。情動があるから理性も働くのだと。

 建築学も都市工学も、まさに理系の学問だからか、確かに情動を論じることが少ない。そこを扱えば学問にならなくて、評論になってしまう。しかし、今の脳・神経科学の時代に、理性の部分だけを扱っているのは不満足。情動の部分を科学にできないか。

 表現主義が特異な心性の表れの時代として扱われがちなのは、このせいか。表現主義は叫びのようなものが伴った。ハンス・シャロウンのスケッチ。ベルリン・フィルのあの形。1918年頃の叫びは、ひとつには第一次大戦がもたらした多数の死、さらに奥には機械時代が引き起こす人間性への尊厳の喪失が背景にあった。建築の形も情動を表現する手段となった。

 ただ、ヨーロッパで次々と生まれた新しい形は、アメリカ商業主義の目には装飾にしか見えなかったから、アール・デコへ。アメリカ商業主義には別の情動が働いていた。アメリカン・ドリーム。つまりは素朴な自己実現欲求。より多くの世俗的成功。それも肯定しなければならない。ホモ・サピエンスの基本的な欲望は植物、動物を前にしての食欲。自然を支配下にせねばならないという衝動。成長の限界というものを知るまで。倫理なし。

 そもそもの表現主義の情動は機械時代という人類史の新しい頁にあって、人間性保全すること。叫びは恐れの表現であり、そこで終わる訳にはいかない。穏やかな創造性へと移行するべき。だから有機的建築へと移行。タウトは住宅団地の大きな、また細かい造形の快楽へ。アアルトは個性的な曲線へ。

 バウハウスの合理主義は冷たい機械様式と誤解されている。機能主義は後に批判の的となるが、そもそも機能主義を築き上げてきた背景の情動があったことは忘れられてしまっている。ダマシオの言う通り、理性を衝動が支えていた。結果としての理性の芸術しか見ない次世代、他地域の建築家たちが、本来の人間的な情動を無視した。

 グロピウスはバウハウス・スタイルなるものを否定し続けた。それはスタイルではない。バウハウスの情動の部分を併せてみれば、それは運動だった。ハーバードでも継続された運動だった。

 情動を科学するとすれば、まずは、機械の合理性に振り回される人間という、近代の構図を明示すること。そこには道具を発明したホモ・サピエンスの深遠な原罪のようなものが見られ、普遍的。そして、時代の技術環境を情動が使いこなし、モノの形にするプロセスを明らかにすること。ホモ・サピエンスに纏い付くデミウルゴス神話。人工的なモノと自然界の接点をいかに保つか。人新世のホメオスタシスはどのような構図なのか。自己破壊する前に安定化を。永続する人類社会の平和とはそういうことか。平和な都市の理想とはそういうものか。モノを造るという原罪を負ったホモ・サピエンスが自然界を傷つけつつも、傷ではなく、新しいホメオスタシスへの改変作業とすること。

 

 

前頭前野の自立がすなわち近代か

 デカルトは、考える我という地平を抽出し、世界を数学で理解しようとした。古代の神々も中世の一神も関わらない、科学的な世界観が生まれる。近代の始まり。脳内では何が起こったのか。前頭前野は物語を創作して扁桃体の発する恐怖感やさまざまの感情を制してきたが、ここで扁桃体離れしたのか。前頭前野が独立宣言か。

 18世紀啓蒙哲学は科学を自立させたが、そういうことだったか。感情の影響を排除して、客観的な知の作用する世界。raison=理性の時代。論理的に整合性を持ち、感情の介入を排除。建築は冷たい論理だけの造る構築物となる。哲学の時代。ロージエの建築論。円柱と明快の構造論理の見える化。ピラネージは例えば柱梁の構造を超越的な巨大さで提示したが、そこには確かに畏怖という感情が入り込んでいたが、それは前頭前野独立運動という熱の表れであり、いずれ独立を達成すれば、情熱は無用となる。ブレのメガロマニーがその最終段階であり、革命後のデュランは感情を排した建築理論を完成した。

 18世紀の考古学の流行、ギリシャ建築の理想化。なぜ近代なのに古代回帰。これも前頭前野独立運動のプロセス。扁桃体側坐核の支配体制から脱出。パルテノンの柱梁の明快な構造論理が抽出されれば完了。古代人が見たパルテノンは畏怖すべき神の住まい。近代人は神離れ。明快な秩序の形而上学の抽出。科学へ。科学が自立すれば産業革命へ。

 そのようにして前頭前野新古典主義というパラダイムで自立。残された脳部位は前頭前野の独裁に異議申し立てとばかりに、ロマン主義を呼び起こす。理性よりも感情を。確かに人間活動の全体性は理性も感情も揃っていなければ成り立たない。産業革命の暴走は機械破壊運動という抵抗運動を招く。ラスキン、モリスのロマン主義

 19世紀は永く歴史主義が続く。さまざまの歴史的様式が記号化され、合理的構造に化粧材として貼り付けられる。なるほど、前頭前野の内部に記憶された古い様式が、各時代の感情を消し去り、クールな知識として残る。理性の骨格の冷たさをカモフラージュするかのように、言い訳としての感情表現の必要から、装飾として補完。いずれにせよ前頭前野の独裁。

 20世紀には前頭前野が支配する体制としての近代合理主義が改めてリストラを遂行。ロマン主義の進化した表現主義も、その進化した機能主義で追放。全体性の回復を目して側坐核扁桃体を活性化させた表現主義は、前頭前野の独裁を止められなかった。その独裁はポスト・モダンという時代まで、半世紀は続く。

 前頭前野は新しい脳。古い脳である小脳、中脳などの脳幹、および扁桃体側坐核などの大脳辺縁系との争い。所詮、前頭前野は単純で、大量の知識を蓄えているものの、シナプスの垂直構造。論理的整合性だけが価値観をなす。エビデンス提示が不可欠な科学者の世界。つまり、いわゆるヒューマニズムは介在しない。やはり脳幹が、とりわけ大脳辺縁系が働かないと困る。アルゴリズムだけで人間は成り立たない。AIの独裁に疾駆するのには抵抗運動が必要。制度疲労を起こした20世紀の感性はもう一度リフレッシュさせる必要。活発にイノベーションを続ける前頭前野とは、脳幹がリフレッシュして新しい関係を。ネオ・バウハウス

 まだすっきりしない。前頭前野は知識の集積。それを論理に組み立て、概念の体系にするのには、言語野が関わるのではないか。ブローカ野、ウェルニッケ野が。左脳の働きを勉強し直そう。

 

ルネサンス脳は側坐核に?

 人類の文化的進化論。古代、中世、近世。中世脳の宗教社会がわかってきた。その後に近世脳。ルネサンス。どのように。

 小脳扁桃という部位は恐怖感と喜びの二元的な感情に関わるという。先史時代のホモ・サピエンスは自然界で生きていくために、この機能に立脚していたのだろうか。不可思議な気象に翻弄される恐怖感、それを克服したときの喜び。前頭前野ストーンヘンジのような儀式的構造物を発明させたか。そして次に恐怖を含む様々の感情を制御する扁桃体が支配的となり、それに対しては前頭前野は古代の神話世界を生み出し、架空の物語りから神の住まいとして神殿が登場する。中世宗教社会は前頭前野の物語り機能に集団的な感情の絆という次元を開いた。そこでは個々人のポジティブな儀式参加行動が求められ、成功すれば宗教的な恍惚感を得る。オキシトシンか。その延長上、次の近世がよくわからなかったが、やる気スイッチの側坐核が関係するか。

 報酬系腹側被蓋野からドーパミンが発する。側坐核はGABAでそれを抑制するが、抑制しないで快感をコントロールできるとか。ルネサンス人は快感に満ちている。ボッティチェリのあのヴィーナス。暗い中世が消える。美。それは視覚を通しての快感。フィチーノを参照すれば音楽も関わるようだ。扁桃体はフェードアウトしたか。

 アルベルティのファサード。部位と部位、部分と部分が比例調和しあい、対称形をなす。シンメトリー。目の快楽。脳の中で完結。人間礼賛の時代。メディチ家の面々のヒーロー像。ダヴィンチの芸術。目と脳と手の三位一体。もはや外なる神々の時代は終わった。信仰の抑制的心性の時代の終わった。

 側坐核が支配する時代。信長も秀吉もそうだったか。利休の美意識をわがものとした秀吉。もっと派手にやりたいのを利休がかえって邪魔となったか。ドーパミンが止まらなかったのだろう。コカインもドーパミン抑制メカニズムを破壊する。カフェイン茶を飲みすぎた?それを見て、家康はセルフ・コントロールする術を見つけたか。快感を制御しつつ、そのうちの権力欲だけは残った。革命の後には独裁者が残るもの。

 近世には神話も信仰もフェードアウト。したはずが、東照宮に、寛永寺増上寺輪王寺。神も仏も、新しい人間によって牛耳られた。側坐核玉座に。これは文化的進化と見なすべきだろう。生物的進化を通してホモ・サピエンスが獲得した脳は、その使い方の進化へと移った。神話も信仰も、そして近世の人間中心社会という社会づくりの手法も脳の生み出したもの。

 ルネサンスの美は古代的、中世的な束縛を脱して、自由に花開く美へ。純粋に人間的なもの。とはいえそこにはトーナメントのような生き残り競争があり、英雄はひとりに絞られる。家柄の時代から下剋上の時代へ。自由競争。強者の論理。腕力とずる賢さも。腕力は肉体的な人間中心主義。ずる賢さも脳の能力の一端。近代的な自由主義の始まりがここに。それはアメリカン・ドリーム型の自由主義まで続く。

 競争はいつも平等ではない。この競争の優勝者は国民を置き去りにして栄華を誇り、際限なき快感へ。最下層からトップにのし上がった見事なスーパースター秀吉。しかし凡庸な息子に引き継がせるために悪行。続かなかった。玉座を掠め取った家康は自由競争を封印し、個人主義的な人間感、人間礼賛のの理想はあっという間に消え、醜い王朝体制へ。まるで社会主義の理想を絡め取った金王朝のように。

 

 ルネサンス芸術からバロック芸術へ。ヴィラ・ロトンダからヴェルサイユ宮殿へ。玉座にたどり着いた側坐核は際限ないドーパミン漬けへ。近世芸術は400年ほどは続いたが、その過程で段階的なメタモルフォーゼを経験。側坐核の独裁を終わらせたのは、理性の時代。玉座は脳のどこへ。それに答える課題が残ってしまった。

アーキテクチャーとは神の似姿を形にすることか

 脳と建築の関係を思索し続けているが、なかなか答えが出ない。今はホモ・サピエンスの始まりからの、人間の認知的な進化過程を参考にしようとしてきている。

 5万年前に黒人としてアフリカからアラビア半島に旅立った150人の人間が人間史に画期をもたらした。彼らはユーラシア大陸のどこかで、突然変異によって皮膚の色素が多様に変化し、多様化した。最初にインドから東南アジアへ、そしてオーストラリアへと歩んで、あるいは海を渡っていった黒褐色肌の人々。途中でモンゴルへ向かって行きつつ色を薄め、東アジアに分散し、また陸続きだったベーリング海峡を辿ってアメリカを北から南へ歩を進めた黄色人種。色素を失ってコーカサスから東欧、さらに西欧へと流れていった白人。もっとも三つの大きな流れに整理できるものの、この5万年間に相互に複雑な交雑があったのでそう簡単な話ではない。

 ともあれ、1万年前までは狩猟採集生活に頼っていたために移動を繰り返し、とりわけマンモスを追ったベーリング海峡越えはいわば長征だったか。そして1万年前に始まる農耕定住生活は大きな集団生活を始め、社会生活の進化とともに、言葉を発達させて各種のアルファベットを産み落としてきた。ここで関心を持ちたいのは建築の始まり。建築もまた言葉のようなものであり、人間の生活、社会的な生活に、自然に散らばる様々の物質を借用して形を与えることだった。

 洞窟での穴居生活の時代には住まいは借り物の自然空間で済んだが、肉食のための動物を追って草原や荒野に出たときにはテント型の住居を造らざるを得なかったろう。木を組んで草を載せるだけのものは遺構も残らないが、マンモスの骨をドーム状に組んだものは考古学者が見つけている。原始的な建築は素朴な実用性しか考えず、機能主義の工作方法のように見えるが、あるいはそのような建築にもすでに象徴表現の意思が働いていたのかも知れない。そのドーム形は以外に明快で芸術的である。中に居続ければドームは天空の象徴形態のようにも想像される。すでにアーキテクチャーが始まっていたか。ここで言うアーキテクチャーは、単なる建築物のことではなく、archi-tectura、つまり高等な技術、道具的理性以上に感性と悟性が一体となった象徴的工作物の創造技術のことである。

 農耕が始まる直前の定住生活がギョベクリ・テペの祭祀施設を生んだ。T字形の壁柱はまだ梁を載せるための柱ではなく、具象彫刻を貼り付け、また人体に擬した象徴芸術だったようだ。ストーンヘンジでは整形された石柱に石の梁が載せられ、円環をなして連続したり、門型のトリリトンをなした。そのルーツは柱梁の木造建築物だったろうとされている。木から石へという転換は象徴表現の意思を表れであり、アーキテクチャーである。それは天体観測施設でもあったという説が出されており、アイルランドの巨石文化では墓室まで冬至の朝の光が水平に差し込むように廊下が形作られていた。天体の現象は神の領域のものと思われていたはずであり、それは神の姿の建築化だったと言えるだろう。

 こういった先史時代の話は考古学者たちが面白く筋立てして著作が見られる。ところがそれ以後になると議論が消えるのはなぜなのだろうか。メソポタミア文明エジプト文明などの様々の建築物は神との関わりではなく、人工工作物として解釈される傾向にあり、神の領域と人間の領域が別個に議論されるようになる。ピラミッドの象徴的な解釈はヘーゲルの美学などでは論じられていたはずだが、今日ではもう分かりきった話としてそれ以上に突っ込んだ議論にならないのか。観念論の古い哲学はお蔵入りになってしまったのか、その延長上での議論がない。ニーチェが神は死んだと言い、マルクス唯物論を打ち立て、科学主義が隅々まで行き渡ってから、神を語るのは特殊な宗教集団の内だけに閉じ込められてしまったかのようだ。

 科学と神秘主義の間をもう一度精細に繋げる作業が必要のように思われる。それは人間の脳を科学することを通して、科学の領域を拡張することで可能となるのだろう。一方で科学万能という言葉が安易にすぎるように感じられる。科学は壮大な自然のごくごく一部しか論理化できていないという謙虚さが必要だ。デザイン・ベイビーに手を染めた若い中国人学者の愚かさは、盲人が蛇を恐れないという諺どおりであり、視野狭窄した科学者の危険を教えている。未開人のようなオカルト論者が語る神、超常現象などに耳を傾けるのは愚かだが、科学のフロントは神の領域と接していることを改めて注視しなければならない。iPS細胞の発見はいわば神の領域に科学が一歩前進したことを意味している。

 神がいるかいないかという固定化した宗教の話ではなく、神とはそもそも人間が自らの知的理解の及ばない世界を司る主体がいるように夢想したことで生まれた言葉に過ぎない。それはホモ・サピエンス以前、霊長類以前、あるいは哺乳類以前、動物以前に遺伝子に刻まれた情報制御因子だったのだろう。生命誕生の時から大自然と生命体は一体化しつつも分離し、自らの生体構造を構築させ、進化させてきた。今もそれは変わらないのであり、人間のDNAは進化し続けており、また知性を強く働かせている人間は人間の似姿としてのロボットを進化させつつある。自然が生み出した生命体、そして人間は、神の被造物でありつつ、自ら掌の中で、物質を道具化して神の似姿を造る試みを続けてきている。先史時代のアーキテクチャーは今は先端技術に継承されている。アーキテクチャーの長い歴史の上に、建築物が様々の人工物や芸術行為とともにひとつの先端技術であり続けた来た。

 そのような観点で建築史を、先史時代から現代まで解き明かしたい。結構、勉強してきたのでそろそろ本論を始めようかと思いつつ、なお疑問を解消するために図書館を渉猟する日々が続く。