メッセージ物質で様式論

 今回(2017-18年)のNHK人体シリーズは、臓器よりもホルモン、つまりメッセージ物質を焦点化。これに刺激されて・・・。メッセージ物質は解明途上。現代の情報論の時代は、人体内での情報システムの存在に光を当て始めた。脳からの指令だけでない、臓器相互のコミュニケーション。西洋医学の還元主義は、東洋医学のホリスティックな考え方と融合しつつあるようだ。経験からの知恵を近代科学の深化につなげること、そこに東西の二元論は解きほぐされていく。ホリスティック、つまり全体論は上手に扱えば意義深いが、下手をするとカルトになるので危険。やはり近代科学のほうが堅い。

 実証主義歴史学はエヴィデンス重視であり、残された形あるものがないと話が進まない。見えなくなった事実はなきに等しくなる。がん細胞は切除するか、薬品で対抗するしかないというのが常識だったが、メッセージ物質が解明されてくると、いわば情報操作で事態を変えられる。エヴィデンスとして残らならなかった情報の流れがわかれば、意外な真実が明らかになりそうだ。様式を成立させた情報の流れに着目することで、形式的な様式分類ばかりでない何かが見えてきそうだ。しかし、情報は多様だから、どの情報が影響したのか、選び出すのがたいへんだ。山中さんがiPS細胞を見つけるまでの作業のように。

 様式変遷の歴史的過程を生命現象に見立てよう。古典様式、中世様式、近世様式などはすべてつながっていたものと考え、ある身体が時代によってボディランゲージの所作の形式を変化させてきたものと見立てられないか。古典様式のオーダーは、ゴシックの細身のオーダーに転換された。それはルネサンスの比例理論で古典様式調に転換された。近代のオーダーはル・コルビュジエサヴォワ邸の円柱、あるいはミースのI型鋼コラムに見られる。歴史を貫いて、柱には重みを支えるという役割があるが、それが多様な様式として形式美になってきた。同じ作用のためになぜ多様な形になったのか。その生成過程にどんなメッセージ物質が働いていたのか。ここで言うメッセージ物質とは工匠ないし建築家の脳と身体に働いた、何かの信念のようなものである。そしてそれを発信させる背景に、その時代の社会の指導的な理念というものがあったことになるろう。

 信念というものはあいまいで、原因と結果を直接的な関係で結ぶことがむずかしい。東洋医学に照らして言えば、どこかの壺を抑えると別な場所で臓器が反応するようなものもある。これでは近代的な学問になりにくい。そもそも実証主義は足かせになりがちで、真実に迫ることさえ門前払いにしてしまう。しかしホリスティックなのだと言い切ってしまっては元も子もない。メッセージ物質の研究でも、結果で出るからそうなのだろうという、曖昧さは残り、「よくわからないが」という言い訳が伴っている。推定有罪も当面は認めながら、より精細にしていくというやり方がよさそうだ。

 後期ゴシック教会堂内部の細い円柱が、途切れてつながる柱だったものが床から天上のアーチ先端まで一本にまとまることなどは、多様な部品に始まり、ひとつの建築躯体に統一されていく過程の終着点と見ることができ、そこには一体化して単純化せよというメッセージが出ていたことを示す。なぜ一体化のデザイン意思が働いたのかは、社会統合の意思が関わっていたものと、一応推定される。物資で外化された形としての建築物は脳内での一体化要請のメタファーであるが、視覚上での一体化と精神的な一体性が共感覚で連携したものと言えるのか。

 とりあえず、このような論法で、これから多様な現象を考え直してみよう。